人間、観察、描く | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

ちょっと想いがあって、何枚も(イラスト的な)絵を描く事があって、描きあがった翌日、自分のあまりの絵の下手くそさに1日半落ち込んだ。
日本橋でデッサン用のフィギュアが売ってて、人物の描き方を一からやり直そうと、即座に購入した。
今のデッサンフィギュアはホントに凄い。
関節がほとんど人間に近付いている。
男性と女性があって、どちらも買おうかと思ったけど、デッサンフィギュアとはいえ、どちらかと言うと漫画を描くためのもの。
そしてつまり、今の漫画に重点を置いてるので、女性のものが実物の人間には遠く、今風にコミカライズされている。
ちょっと自分の目的には合わないので男性のフィギュアを購入。
購入して動かしてみると、男性用もやはりどこまでも漫画に近寄っていく。
それでも充分凄いので、あれこれ動かしてみた。
動かしてみるとラビリンスをぐるぐる回り出す事に気付く。
陸上競技のポーズをとらせてみた。
スタートダッシュの形、前半の加速の形、中判以降の状態が起き上がった形。
例えフィギュアを購入したとしても、そのフィギュアにポーズをとらせるには、その形を知っていないといけない。
モデルがいてくれるならばモデルがそのポーズをとってくれるだろう。
しかし人形にポーズをとらせるには、それを動かす者が頭の中で精密描写をできていないといけない。人形はカチャカチャと動かしただけでは様にはなってくれない。
モデルだって日々の生活の中で人間を知らないとそのポーズを取れない。
結局は人間は人間の目で人間を観察して人間の頭で人間の手で描くのが「絵」だ。
人形はあくまで、時間を制止できない人間の「制止」を担ってくれる存在なのだ。
そして描く側の観察のレベルを問うてくる、現実の存在だ。


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