遠くを見つめて立ち尽くす | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

今回の熊本の震災は少し阪神大震災に似ている気がする。
連日の詳細をテレビやネットで見ていると、過去の体験がフラッシュバックしてくる。

度重なる揺れはリズミカルではないので、余震の恐怖と緊迫した待機で身体的にも精神的にも疲労はピークのまだその上を越える。

震災直後に遠くから色んな人が自身の思想プロパガンダを飛ばし合って野次り合ってる姿を見るが、それは後にずらせないだろうか?

身近な大災害でいつも感じるのはいたたまれなさ。
時間、立場、手段の違いと摩擦ですぐに動ける人たちに負い目を感じてしまうのは仕方のない事。
独りよがりの自己満足でも、被害者も見守る側も「安心」というコミュニケーションが最も必要になる。

震災は長期戦になる。 
想像以上の持久力になる。
だから動ける人の後ろで様子を見守りながら、必ず自分のタイミングがやってくる。
被災者、被害者の安心を祈りながら、それと同時に見守って立ち尽くすしかない人たちにも励ましを囁きたい。

災害を機に争うよりも、災害を機に隣で大切な人たちがいることを知る人間で在りたい。




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