May。ある撮影 | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

昨日はMayで撮影会でした。
何の撮影かはまだ秘密。
次回公演用ではありません。
次回公演や、今後の活動のミーティングも行われました。
少ししたら情報もアップしていきます。
ズラッと並んでびっくり。いつのまにか団員がこんなに(笑)
二桁越えると記憶が曖昧になる僕は、誰が来てて誰がまだ来てないのか把握しきれなくなってました(笑)

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遠くで稽古する時はチセを学校に迎えに行きます。
この日は学校から近い場所で稽古だったのに、てっきり遠くの稽古場だと勘違いしてチセを迎えに行きました。
迎えに行った日は一緒にタコ焼きを食べます。
夜まで稽古になるので腹ごしらえです。学校の近くで40年間経営されてるタコ焼き屋です。
僕も中学の時に通ってました。
そこのおばちゃんは「昔は色んな学校が喧嘩ばっかりしてたねぇ」と僕たちの時代を振り返ります。
40年間も同じ学校の生徒たちに愛されてるって凄いなぁ!

先日チセと稽古場に向かってると、チセの同級生から「アッパ(お父さん)?」と尋ねられてお腹抱えて笑いました。
最近も同級生に「アッパ?」と聞かれたそうです。
僕にとってはチセやエナ、チュリ、ヒョンジ、シュートは苦楽を一緒に重ねた仲間のつもりだったけど、そうかそうか。そりゃ40半ばのおっさんが来たらそう思うわな(笑)

一緒にタコ焼き食べて一緒に稽古場に向かうチセですが、稽古場に入ると僕よりも他の団員たちと終始楽しそうに喋ってふざけ合ってます。劇団の姿勢として、対外的な序列はあっても感性の序列は横つながりで、チセも例外ではないので、大人たちは同じ目線でチセと笑い合ってます。
大人と子供はひとつのパターンで成立させてはいけません。
親だからできる事の対として、親だからさせてはいけない事があって、親も耐えながら子供を見つめます。
教師も然りで、教師だからできる事の対として、教師だからさせてはいけない事があります。
そして親が敷く境界線と、教師が敷く境界線は全く違います。
それを助けるように、外からのおっちゃんおばちゃんだからこそできる事があって、その対として敷く境界線もまた違います。
親や教師が毎日子供を守る目は緊張の連続です。成長させるというのは大変な事ですから。
その緊張を、子供はまだまだ社会経験の少なさから「窮屈」としか感じれない場合があります。
そんな時に外からチャチャ入れするおっちゃん、おばちゃんは、息抜きになります。
息抜きに逃げ込める大人が多ければ多いほど、守る目も増えます。
緊張と息抜きを上手く歩いて、いつか大人になった時に「あの窮屈は、守られてる安心だったんだな」って親に対する感謝を本当の意味で知ってくれたらいいなと、まだ見ぬ希望を抱いてます。

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*写真の一枚はスーツを着たくらっちとシバちゃんが「どうしてもこのシチュエーションで撮っておきたい」と切望したアホな写真。
いつか現実にならん事を祈って(笑)


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