視界 | デペイズマンの蜃気楼

デペイズマンの蜃気楼

日々の想った事、出会い、出来事などなどをエッセイのように綴りたいなと。
時折偏見を乱心のように無心に語ります。

大阪芸大に落ちて一浪する事になって、絵の予備校に通った。
映像科を目指していたのだけど、入学説明会(といっても生徒が来た順に受講させるシステムだったのか、僕1人だった)に行くと塾長の先生が「う~ん…映像科希望かぁ…。うちはグラフィックを選考する子を主に受け入れてるんやけどなぁ…」と言われた。
そもそも大学がいくつあって、芸術系にどんな科目があってなんか皆目見当もつかなかったので「はぁ」とだけ曖昧に答えてその予備校に通った。
最初の2回はみんながデッサンをやる中で講師が僕だけ独自に絵コンテを書かせたりしてくれたのだけど、その講師にも判断しようがなかった。
やがて僕は自分から自然にデッサンをしてポスターカラーを買って、グラフィック科を受ける準備をした。親から「お前は映像科を受けたいんとちゃうんか??」と疑問を持たれたけど、僕はとにかく自分の作品を作れる場所に行きたかったのだ。
その言葉を明確に伝えれなかったので随分曖昧な奴だと心配させたかも知れないが中2の頃から決めた道は一本だった。
講師の先生は数人いて、その中の1人、油絵画家の先生は後の恩師となった。
油絵を描くためにグラフィック科を受講されたらしく、先生は僕たちにも「自分のやりたい事があったら時間を作るために大学に入れ。教師は全部自分の色で染めてくるから、ホンマにやりたい事は人から染められるな」と言った。
とにかく自由に描かせる事をしてくれたが、決して甘い先生ではなかった。失敗する道を黙って見ていてくれるけど、やはり失敗した後に手厳しい指導が入る。
「受験」には向かせないし「受験」に向けては、それ用の俗物的な裏技を教えてくれるので、僕らは先生のアバンギャルドな姿勢が好きだった。

僕は京都の短大の映像科に入学して、それから数年後に先生と再会した。
「梅田のカラオケボックスがオープンするから壁を好きな絵で埋めようぜ」と呼んでくれた。
明け方まで何人かで壁という壁を埋め尽くした。
それを機に先生と会う機会が増えて、演劇活動をとても応援してくれた。
その時に先生が二十代だった時の油絵を見せてくれた。全般的に黒が主体の風景画なんだけど、全部絵が右に上がっている。
どれもこれも。
僕はその絵の雰囲気が好きだったけど「なぜ全部右に上がっているんですか?」と、やはり質問した。
先生は「わからんねん。今はちゃうねんけど、その当時は見るもの見るもの全部そない見えとってん」と言った。
絵を描く人は独特だな、と思った。

それからさらに数年経って、僕の身辺が負の出来事でめちゃくちゃになった時。
映画を観ていた。
その時「あれ?」と思った。
エンドロールが全部右上がりに傾いて登っていく。
かなり露骨に。
アメコミ映画「スポーン」のエンディングが少し傾いていたので、僕は演出かな?と思ってそのまま見流した。
ところがそれから観る映画観る映画、全部エンディングロールが右上がりに上がっていって、ついには映画の画面もテレビの画面も右上がりになった。
舞台でも舞台監督さんに大黒幕の高さを見てくれと言われて、僕なりに水平の場所を伝えた。
幕を吊り終わった舞台監督さんが戻ってきて確認すると僕に「全然水平ちゃうやないか!」と怒鳴った。
それ以来、舞台で水平確認は僕はしないようにしている。
それは今でも続いている。
しばらく何度も画面の流れとスクリーンの角度を建物の壁とも照らし合わせて測ってみたりして「やっぱり自分の目がおかしいんだ」と確認して来たが、今はもう諦めている。
iPhoneの画面も右に上がってるし、テレビもパソコンも映画館も漫画のコマも右に上がっている。
先生は「ある一定の時期が過ぎたら治ったけどな」と仰ったが、僕は当時の先生の年齢を越えてもまだ傾いている。
いつか変わるのかな?変わらないのかな?

ま、人間自体の身体や感覚のバランスがそもそも左右対称じゃないんだから誰しもどちらかに傾いてるのかも知れないけど。

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