代々あった中島の屋敷を知らない私の子供や孫のために。
今から10年前まで中島のここに実家があったんですよ。
この地図のココね!
なんかデカくね??って思った子孫たち、こんなお屋敷でした。
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そして、今現在(平成30年10月)まだ残っている土地が西側のココね!
まだこんなにあるんです。
ここは元々分家さんで出た新屋敷って屋敷が、私が子供のころにはあった記憶があります。
詳しい家系図はココね
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航空写真でみたらこんな感じです。
そして、代々あるお墓のある場所はココ
右の所です、その横には白神の神様が祀られた祠もあり、白神家ココまで!みたいなことのように聞いています。
昔、聞いたことがあるんです!
「お墓って田舎にない?」って、山の上とかにあるのは所有している山の上におくことで見守ってくれているらしい、我が家は平地にあったので屋敷の端っこにお墓を作り、その横に氏神様を祀ったとばあちゃんからは聞きました。
えっ?
屋敷の端っ子??
どうもそこまで昔は蔵があったように聞きました。
■予想図
恐ろしすぎるデカさです。そして南にずっと田んぼがあり(中島小学校・紀念病院までの四角と聞いてます)、屋敷の写真で見える手前の窓の部屋にたくさんの小作人さんが寝泊まりしていたみたいです。
本家の奥の方に、中庭やたくさんの部屋もありましたが、そこはお嫁に来たばあちゃんがいた所。なんともすごいお話ですが、それも私の二代前、平介・花子のお話です。
でも、その前になるのかな?でも昭和拾年の地図ではこうなってます
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何が本当なのかは今でははっきりとは分かりませんが、
私が10年前まで住んでいた場所がココであり、ここに「元白神」が先祖代々、13代にわたり住んでいたことは事実です。
あっ!私13代目長男です。
そして、
これが売りに出た時のチラシね!祖母が亡くなり、父(資康)が一大決心、近所とのこともあったので一生懸命頑張ってくれました。
手前二件も後から売りに出たので、一軒の家が売りに出て、十二
件の新築が建ったって恐ろしいお話。
ちなみに、ココの緑のところが私の知っている現在の新宅、屋敷までには広い道が通ってなかったので、緑の右下のところの土地を売ってもらい、道をつけて開発かけて行ったんだって!
他の親戚とかは、前屋敷とか言ってたな〜〜〜。
変な感じの形なんで、昔は左下も新宅の土地だったのか!?
ひょっと分かったら、またブログに残しておきたいと思います。