ここ仙台は東日本大震災を経験しているので、今回の能登半島での大地震は他人事ではない。
元日から、ずっとニュースを観ている。
そこで、思うことがある。
避難所を、ライフラインが整っている近隣の地域に作れないものなのかな?
とか。
家屋が倒壊して、生き埋めになっている人たちが多くいるのであれば、、、、自力で歩いて現地入りしてくれるボランティアをもっと受け入れたらいいのではないのか?
とか。
混乱を招かないような仕組みを、今一度きちんと作り、被災直後にもっと現地に必要な人材を集められるようにできないのかな?
とか。
公務員はルールがうるさいので、すぐに行動できないのだから、こんな時こそ民間が迅速に動かないとね!
とか。
私ら民間の企業は来年度からBCPが義務化されるのに、行政のそれはまったく機能しとらんのかな?
とか。
思うよね〜。
特に私は。
あの東日本大震災の時、そっちゃんが5歳、チコが1歳だったからね😭
地震直後に電気もガスも水道も止まり。
ここでは子どもたちの命を守れないとすぐに考え。
夜中に何件もの公衆電話を回り(携帯電話も固定電話も使えない状況で、公衆電話のいくつかは使えるらしいという情報をたよりに近隣の公衆電話を回った)、、、、5件目の公衆電話で、鶴岡の義父につながった!
すると、鶴岡は震度4程度の地震でライフラインもまったく通常通りだと知った。
義父に灯油ストーブ、乾電池、食料などの購入を頼み、子どもたちと鶴岡に避難したいと伝えると。
義父は翌日の昼には物資を購入して、仙台まで来てくれた。
義父が仙台に着く前に、私は当時勤めていた会社に行き、自分のロッカーに、子どもたちと一時的に鶴岡に避難すると書いた紙を貼ってきた。鶴岡の連絡先も書いて。
そのまま、私は子どもたち2人と鶴岡に避難した。
その後。
私の両親や弟は仙台に残ったので、いろいろ苦労しつつ、、、近隣の人たちと協力しあって助け合って生活していた。
水は近所の井戸水をわけてもらい、遠くの給水所まで行かなくて済んだ。発電機をもっているご近所さんに携帯を充電させてもらったり、電気は1週間後には使えるようになってオール電化のご近所さんでお風呂を借りたり。
そんな経験もあるので。
ご高齢な方や持病がある方、乳幼児のいる方や現地に残らないといけない事情がない方などは、、、、むしろライフラインの整っている近隣の県などに早々に避難させてもいいのではないか?
と、思ったりする。
なんで、避難所は被災地にしかないのかな?
と。
正直、東日本大震災の時にも思っていた。
そして。
東日本大震災ではなかったこと。
それは建物の倒壊で生き埋めになっているケースの多さ。
道路が倒壊した建物などで塞がれているとか、ヒビが入っていて車両が入れないということはわかった。
そして、警察も消防も救急車も、そんな時は当てにならないこともわかった。
行政の応援も、定められた手順や手続きが必要なので、動けても2日後ぐらいなのだということもわかった。
だから、これからは。
人力で、徒歩で、適切な応援が入れるようになれぼいいと思う。
二次被害がないように、徒歩で被災地入りする人たちを把握したり守ったりしないといけないかもしれんけど。
、、、私は自分の家族が生き埋めになったら、とか、私のすぐ近くでそんなことが起こったらと思うと、そんな悠長なことは言えないよね。
大きな災害があるたびに、、、みんなでいっぱい考えて。
次の災害に生かしていけるといいと思う。
私は子どもたちに言ったよ。
コンクリートの建物も信用するな、と。
地震がきたら、すぐに建物の外に逃げなさい。
そして、付近の建物が倒壊しても巻き込まれない場所に逃げなさい。
と。
自然の脅威から、私たちは逃れられない。
けれど、できることはある。
ここ仙台も地震は多いし、これからも大きな地震はやってくる。
だから、みんなで油断しないで、起こったことを教訓にしたい。