今年のお正月は。
元日の地震から、翌日の飛行機事故で、、、なんだか、この国そのものが厄年なのかと思うような状況に思えた。
そんななか、ペットと飛行機問題がネットニュースでかまびすしい。
いろんな意見があるよな、と思う。
私が思うのは。
ペットの命、ペットの権利や尊厳に関してここまで議論されるぐらい、私たち人間は裕福になったんだな、、、というのが、はじめの感想だよね。
私が子どもだった頃。
野良犬は普通にいた。もちろん野良猫も。
そして、飼い犬や飼い猫すら、ご飯は人間の残飯だったよ。
私たち人間のご飯の残りを食べていた。
ペットフードを食べさせる家はなかった。
ペットが病気になっても、動物病院なんてなかった。
ただ、ただ、、、家で、看取った。
家にあるもので、できることはしたけど、、、その命のあるがままに命を看取った。
そんなペットの飼い方が当たり前だった。
そこには、明確に、人間とそれ以外の動物=ペットの違いがあった。
飼い犬や飼い猫に、人間と同じ権利や尊厳を与えてほしいという意見はわかる。
それらを家族と言うのであれば。
でも。
ペットではなく、自分の目の前にいない動物たちの権利や尊厳については、どうなのかな?
ブロイラーのにわ鶏。
ホルスタイン。
ホルスタインのオス。
いやいや、肉牛。
羊。
家畜と呼ばれる動物には、飛行機の客席に乗れるぐらいの議論をされる権利と尊厳は与えられるのだろうか?
もしかして、家畜は別?
ペットと権利は別ですか?
家畜は家族ではないから、権利も尊厳もそこまで重要じゃないのですか?
、、、こんな理屈。
当の動物たちに問うたら、どう答えるのだろうか。
と、思うよね〜。
なんか、人間って、とっても勝手な気がする。
身も蓋もないかもしれないけど。
きっと、、、経済が貧しくなれば、ペットの尊厳や権利の価値も低下する気がする。
、、、、のは、私だけ?
それとね。
資本主義経済の論理で考えれば。
座席の料金を支払えば、ペットも人間も平等に客室に乗せますよ、とか。
アレルギー対応のために(ペット専用のスペース確保のために)特別料金取りますよ、とか。
逆にね。
アレルギーのある人には専用の客室を用意するので特別料金を払ってください、、、とか。
、、、、、人間のマイノリティの側が費用を負担することにもなりかねないよね(笑)
でも、それこそ、人と動物が平等ってことよね?
まあ、私の場合は。
基本、北海道から本州に里帰りする時は、自宅で留守番してもらうか、フェリーで連れて行っていた。
北海道の私が住んでいた地域にはペットホテルがないので、知人に散歩とご飯をお願いしていた。
そうじゃない時は、車でフェリーで連れて行っていた。(仙台まで1日半の移動時間よ!)
北海道から引っ越す時は、猫2匹と犬1匹とともにフェリーで移動した。乗船中、係の人に頼んで、私は3回ぐらい車のなかにいるペットたちを確認しに行ったりもした。
その時は、迷いなく犬猫のためにフェリーを選択した。窓をわずかに開けつつも、温度なども気になるからね。
飛行機という選択肢は、、、考えなかったよね、正直。
まあ、でも、飛行機で移動しなきゃならない人もいる。
私も、いつかは飛行機でしか連れて行けない時があるかもしれない。
という時は。
座席分の料金は支払うしかないわな。
そして、アレルギー云々、、、、という人たちに言いたい。
猫も犬も牛も羊もアレルギーはある。
でも、それを主張できない。
ので
そこは人間側がアレルギー防護服を着用して搭乗してください、、、というのはどうなのかな?
そんな論理が通用しないなら、、、人間側の考えや主張なんて、、、結局は欺瞞でしかない、、、なんて考えは私の極論だろうかね?