高知県の方は、冠婚葬祭や神事、節句など機会をみつけては宴会をするのが好きで、その時は親類や友人、近所からもお客さんを招いて宴会をするのだとか。
そしていつしか、宴会のことを「おきゃく」と言うようになったと言われています。
「おきゃく」はまさに、様々な人が集い酒を酌み交わす、交流の場みたいなもの。
知っている人も知らない人も分け隔てなく献杯でもてなすのが一番のルールなので、見知らぬ人とお酒を差しつ差されつ、自然に打ち解け合えるとか。
そういえば、高知の宴会といえば大皿料理ですね。
ひとつの皿の料理を共に食べて、お酒を飲んで、歌って、踊って、みんなが家族みたいに仲良くなる…この自由で賑やかなスタイルが「おきゃく」だとしたら、この「人生はおきゃく」に込められた意味も理解できます。
西原理恵子さんといえば、高須クリニックの医院長とのラブラブぶりが有名ですが、なかなか波瀾万丈の人生を送ってこられた方ときいています。(実は私と同じ年)
そのジェットコースター人生を、高知流の宴会に例えたところに、とても意味があるなぁ…と思いました。
ある程度の年齢にならなくては難しいのかもしれませんが、この達観した感じ。
自分の人生なんだけど、渦中にいるのでなく、どこか冷めたような、面白がるようなこのスタンスが、実は人生をクリエイトするのに、一番大事なのです。
人生の人生なんだけど、それを一歩引いた視点でみるこの感覚。
だけど、決して冷めたり投げ出したりしているのではありません。
(ちなみにこのスタンスの真逆が「執着」「欠乏感」「自己否定」ね)
そして、アカシックを読むときも、まさにこの感覚になります。
逆に言うと、この視点こそが必要。
当事者の意識満載で、渦の中でアップアップしている状態では、リーディングは難しい。
だけど不思議なもので、何度も何度もアカシックに触れているうちに、この感覚がわかってきます。
身についてくる…というのでしょうか?
アカシックリーディングをしている知人と話をすると、共通のこの感覚を感じます。
さばさばしていて心地よい、だけど人生を
クリエイトする気満載で、とても熱い。
アカシックってやっぱり面白いです。
あなたもアカシックに触れてみませんか?
今月から、第4期生の授業がスタートします。
また、このブログでもレポートさせていただきますね。