あけましておめでとうございます。

雑煮たべて、こたつで「ガラスの仮面」読んで、ふくちゃんに頼まれて折り紙折って、元旦の夜を迎えました。

41巻まで読んだけど、とってもさびしい。つづきもの読むといつもそうなんだよね。15巻くらいまでがいちばん幸せだった。あー、まだたくさんあるなあってさ。

数年前、わたしは妹・かんの友人、えりぴーとまんがの貸し借りをしていた。えりぴーのお母さんもまんが読みでさ、ある春の日、わたしは1冊の小説を借りた。

それはいわゆる少女小説に分類されてる、コバルト文庫から出てるシリーズものの、番外編にあたる本だった。

えりぴーママは言ったのだ。○○ちゃん(←わたし)はきっとすきだよって。

そしてその予言は現実になる。

「炎の蜃気楼」、そのシリーズを知る者たちからはミラージュと呼ばれるその物語に、わたしは幾多もの栄養と歓喜、驚愕と衝撃を与えられた。

一見歪んでいるかのようで、けれども純粋で愉快なファン心理というものを、ネットを通じてはじめて垣間見た。

たのしかった。ほんとーうにわたしは愉しんだ。

その世界にはたくさんの要素がつまっていて、読むたびにいろんな角度から物語を見渡すことができるので、なんべんよんでも飽きるということがなかった。

登場人物が多いだけではない。はじめに借りた番外編で、脇役フェチのわたしのツボをしっかり押さえる台詞を吐いた人物がいたのも、大きかった。
盛り上がる主人公とその相手を、一歩下がったところから見届けるそのひとは、なにをどうしたってわたしの興味をひいたんだ。

十数年間紡がれ続けたののち、ミラージュは完結した。残された数十冊の小説に、わたしはどれだけ動かされたろう。だれかに会いたくなった。この物語について、ひとと話をしてみたかった。

まっすぐにまっすぐに祈っていれば、いつか願いは届く。わたしはミラージュを縁に、ふたりの友人を得た。かなは、そのひとりなわけよ。

自分を揺さぶるものが降ってきたとき、わたしはそれをだれかに伝えたいと思う。どれだけぐらぐら揺らされたか、胸をぎゅーっとつかまされたか。

本であれ、まんがであれ。歌や、映画や、ひとびとのニュースや友人達の言葉の端々から。わたしを大きく揺さぶるものが、わたしをぶちのめすものが、今年もたくさん降りますように。

どうかどうか、わたしのもとに。

杜海掲示板
↑実家の茶の間のかべにある、布。うちの両親の名前が一文字ずつ入ってる。浅草のみやげもの屋でみつけたらしい。せめてアイロンかけてからかければいいのにさ、このずぼらさ、さすがO型夫婦。

ちかごろ更新が滞っていました。昨日も追記しなかったしなあ。(Jさん一家のみなさまごめんなさい、読んでくれてありがとうね)

わたしの家のパソコンは暖房器具のない部屋にあるので、ついついこたつに逃避してしまったのよ。トイレやごはんのほかは、ずーっとこたつ虫だったな…

昨日から実家に帰ってる。現在ぬくぬくの部屋でのほほーんと更新中。昨夜は透子ちゃんが泊まりにきてた。なすと豆腐のカレーをリクエストしてくれたので、こしらえてごちそうする。

たっぷりのしょうがと、カレー粉とめんつゆで風味をつけるんだけども、いっしょに食べた妹・かんは「風邪ひかなそうな味だね」と言った。

いま、茶の間のテレビでは紅白歌合戦かかってる。

ドリカムの美和ちゃんが「やさしいキスをして」を歌ってた。このひとは歌がとてもすきで、その歓びを聴くひとにそのままたむけるように歌うよね、いつも。
後奏のとこにアドリブ聴きながら、もうこれだけで赤組優勝にしてくれと思ったよ。
マツケンサンバもたのしみだけど。

なにかで読んだんだけども今年は世界的に情熱的だか発情期だったそうで、恋愛・結婚・出産の話をそこここでよく耳にした。

あやさんとかんちゃんみてて、結婚はあったかい毛布みたいなもんだなあって思ったし、葉子やももちゃんの話をきいて、好意は合わせ鏡のように反射し合うんだと感じた。

去年も豊作だったけど今年も豊作だったなあ。たくさん栄養をそそいでくれるひとと会えました。
ほんとにお世話になりました。ありがとうね。

転んだり、痛い目あったりもしましたが、かさぶたもとれてたまにかゆくなるくらい。もうずきずき痛まない。治りかけにひび割れて、またそこから血が流れることもない。

仙台の家のアパートの水抜きと、冷蔵庫に腐ったキャベツ残してきたのが心残りではあるけど、無事年を越せそうです。
毎年恒例の、大晦日レイトショーも今日は行かなかった。豆大福たべて、茶でもすすんべ。まんが読みながら。

クリスマスに買った「ガラスの仮面」の新刊のテーマは、”男の嫉妬”とみた。そこここに散りばめられる速水さんの心模様にわたしは大うけ・身もだえしていたわけさ。(うちのこたつを「魔物だ!」と言った環ちゃんもウケてたわ)

ぼちぼち読み返しはじめて、いま10巻。マヤはヘレン・ケラーの稽古中。
おそらくこのまま読み続け、わたしは年をまたぐだろう。年越しレイトショーのかわりだ。

さあさ、マツケンサンバも見届けた。

うちのにゃんこみたいに、寿と福とを手まねきしよう。
2005年も、どうぞよろしく。

杜海掲示板
↑ひとり鍋にするつもりが具材を切りすぎて土鍋に入りきらなかったため、ふつうのステンレスのおなべで作って、どんぶりで。
きのこがどーっさり、厚揚げと小松菜の豆乳なべ。お皿はいもとマッシュルームの温サラダ。


↑東京でかんちゃんちでいただいたケーキ。手前は小豆のモンブラン。成城学園前駅の裏の店のやつ。
昨日献血してもらったケーキは撮り忘れた。

わたしは、ほんとーうにこたつがすきだ。

昨夜から、夜勤のバイトの同期だった環ちゃんがお泊りにきていたのだけれど、「このこたつ、おかしい!」とのお言葉をいただいた。

なんでもふつうこたつで寝て起きるとだるくなったり、節々が痛んだりするけど、我が家のこたつは入りごこちがよくて、夜中に目がさめたのにまた寝なおしてしまったという。

そうなんです。気持ちがいいんです。うちのやつは。

クリスマスの日の朝、そのこたつに入って「なんくるない」を読んだ。よしもとばななさんの沖縄小説。ふたつめと、みっつめのおはなしがとってもよかった。

登場人物がそれはもう色あざやかに、いいにおいを撒き散らす花みたいなひとたちばっかりで。

みっつめの話を読みながら、わたしは久しぶりに大騒ぎしてた。読みながら笑ったし、泣いたし、奇声を上げた。「ああ、どうしよう。わたしいますんげーたのしいぞ!」と興奮しまくっていたんだ。

腹ばいになって読んでたすぐそばのスピーカーからは、元ちとせのライブCDの音が流れてた。去年の奄美大島での音源だった。

ライブのしめくくり、その曲のイントロが流れたときに元さんが言ったのよ。
「島のひとたちは、おうちに帰ろうって言わんと帰らんからね。……踊ったりしてもいいよ」って。
そこがまたなんとも、いい。何度も何度も聴いたよ。

「ウルガの丘」っていうラストの曲は、サビのとこで「さあ、おうちへ帰ろう」ってフレーズがあるわけよ。
わたしはその場にはいなかったけど、目に見えるようだった。おじいやおばあや、ちっさい子や若者たちがさ、みんなしていい表情しながら踊ってるさま。

わたしは沖縄に行ったことがない。そして友人・とりこはことあるごとに言うんだ。沖縄行きな、あんたはぜったいすきだからと。
行きたいなあって気持ちはずーっとあった。けど、ここまで「行かなきゃ! 行かねば!」って思ったことはない。

いままででいちばん、わたしは南の島に焦がれてる。
この真冬のみちのくで。

杜海掲示板
ちょうど献血解禁日だったので、混みこみを想定してだめもとでアエルの20階に行ったらそんなに混雑していなかった。今日明日、血を抜くとケーキをもらえるわけさ。こりゃ行くしかあるめえ。

うれしいことに血小板の数値も、わたしのこれまでの献血人生において歴代2位だった。36万。むふふ、めざせ40万ですよ。

緑色の冬スカート
みかんの置物
もやし4袋100円
小松菜2把100円
マッシュルーム エリンギ ひらたけ
白雪とうふのお勤め品ぎっしり一袋
jupiterのコーヒー缶
ガラスの仮面の新刊(出てるの知らなかった)
よしもとばななさんの沖縄の本
洗顔料と歯みがき粉

クリスマスだし給料日だし、財布のひもはゆーるゆる、どんどん手荷物ふえていくのがおかしくもあった。
わたしあんまり街で買物しないから、こういう記念日系の日に、自分によ言い聞かせるようにばんばん買いまくるわけね。

でっかいビニール袋、ふたっつかかえて地下鉄に乗って帰ってきた。エレベーターを降りたらばちょうど真上に月があった。

東京エスムジカの「月凪」を歌い、家路につきましたとさ。

ふわりーふわりー
たゆたーいながら~

ここんとこが、すき。

杜海掲示板
むかしむかし、20歳になると世の中のひとってみーんな自動的に「大人」になるんだと思ってた。

おとんみたいに質問したら即座にわかりやすく説明とかできて、自分の稼いだお金で好きなものを自由に買えるって、思い込んでたのだった。(幼少時から思い込みの激しい気質だったわけさ)

先日、わたしの恩人にあたる女の子が電話をくれた。
来年の夏におかあさんになります、と。

あの稀有な才覚を受け継ぐであろう赤ちゃんが、この世に生をうけたことがわたしはほんとうにうれしかった。

その子が大きくなったらば、自己紹介の後に話したいなと思う。
わたしがどれだけあなたのお母さんに栄養をもらったかってこと。あなたのお母さんに会って、どれだけ目玉を見開かれたかってさ。

わたしは自分の話すことに、いつも力をこめていたいと思う。
何気なく話したことで誰かをぎったんぎったんに踏みつけることも、枯れ木に水を注ぐかのようにうるおすこともできるのなら、いつでも最大限にその威力を発揮できるようにしていたい。

だからわたしのしゃべりはいつも、脳みそと心とが直結している。目に見えるもんならいつでも公開OKだ。
裏表があるようでないようで、やっぱりあるとみせかけて、実は境目がなきに等しい思う。

でもそうじゃないひともいる。もちろん、いる。
わたしは思ったまんましか話さないから、てっきり身近にいるひともそうなんだと考えていたわけさ。わたしはまるごと信じて疑わなかった。

でも先月、実はそうじゃなかったってことが判明してびっくり仰天、どつぼにはまってがっかりし、そして最近またおんなじことを繰り返したばかり。

自分がそうなら相手もそうだろうって思い込みは、まるで子供のころの「20なったらみな大人」とおんなじで、あまりに短絡的なものでしかない。
にもかかわらず、わたしはその時になってからじゃないと気づかない。ばかのひとつ覚えのように、いつも。

メール(とくに携帯の)も便利だけど、なんだかそのあまりの便利さにもんもんすることも増えてきた。
うれしいことがあったときの報告も、面と向かって言いにくいことも、自分の声にのっけて届けたい、届けてもらいたいのが本音さ。

ある日、前出の友人がわたしに向けて放った言葉は、いまもまだ鮮烈に突き刺さってる。年月が経っても、きっとその矢はまぶしいままのはず、そんぐらいの威力があったのだから。

これからも短絡的な思い込みが空振りに終わっても、それはそれでいいや。残念だけどしょうがねえ。わたしはわたしのやり方を通そう。

あきらめるな。

杜海掲示板
↑仲居風巻き髪をほどいたら、まるでどっかの野生動物のようだった

仙台の上空からはらはら雪が落ちる、このくそさんむい日に。いくつかのありがたい巡り合わせのおかげで、わたしは漏れ出てくる笑いをこらえ切れないでいる。

ありえないはずの偶然、なんかない。

人や、縁や運を、その手に引き寄せる素晴らしい才能をもつひとを、わたしは今日まのあたりにした。今年はじめて雪に降られた日が今日でよかったと思う。

これでわたしは、これまたしつこーく覚えているだろうから。

杜海掲示板
←高幡不動の夕方。川あそびしたとき見送った色。

昨夜はこたつで寝てしまいました。日をまたいでの追記になりました、ごめんなさい。
実家はこたつがなかったので、飢えていたのね、きっと。

こたつがあれば暖房機器はほかにいらないような気がしてたんだけど、さすがに昨夜から今朝にかけての冷え込みには、いそいそとストーブをつけざるをえない。
ああ、これぞみちのくの冬だなあ。

この家は夏、ものすごーく暑かった。そしていま、ものすごーく寒いのだ。

そりゃあ、なめくじがうにょうにょ顔を出すような隙間がいたるところにあるから、至極当然のことなんだけどさ。冬のオアシスであるはずのお風呂だって、長くお湯につかってるほど体が冷える、まさしく反比例の効用があるんだわ。おかしいべ、そんなん。

引っ越し先は7階だ。3階以上のところに住んだことないけど、きっとなめくじは這い上がってこないだろうし、鉄筋の建物だからいまよりあったかいだろう。

MDを実家に持ってくのを忘れたので、音楽聴くのもひさびさ。
Coccoの「ガーネット」「SING A SONG~NO MUSIC,NO LOVE LIFE」と、バンプの「ユグドラシル」、笹川美和の「止めないで」salyu「ダイアローグ」。

うちにいるときは、これらが詰め込まれた一枚のMDばっか、ひたすらかけてる。ちかごろ東京エスムジカも東京事変もかけるけれど、どうしてもこのMDに入れ替えてしまう。

安心する。耳だけじゃなく、全身で音の粒を浴びてるようで。
音粒に満たされた部屋のこたつで、わたしは心身共にほぐれてゆく。

ほんの10日ほど前。四万十さっちゃんたちと川で石を投げながら、わたしが「ガーネット」を歌ってたこの写真の夕方、みんななにしてた?

見せたかったよ、あの色。川面に浮かんだ波紋の揺らぎ。

文章でも写真でも伝えきれないものを、うたうたいたちは歌って残していくんだろう。

杜海掲示板
↑母・ふくのえびピラフ。杜美的おふくろの味三本の指ににしっかり入れておきたい。

昨日は朝から調子がわるくてしんどかった。

首のつけ根から上がひたすらがんがん、動くたびに歩くたびに痛くて顔をしかめてばっかりで。
ときちゃんがポテトチップスとおいしいパンをもって遊びに来てくれたのに、わたしはソファに横たわって結局寝てしまった。

実家に帰るとたいていわたしはおさんどんに回るのだけれど、昨夜はふくがエビピラフとなべやきうどんをこしらえてくれた。
この家のひとびとは、病人には優しい。

具合が悪いと食欲がなくなるというひともいるだろうけど、わたしは熱があっても食欲に支障はきたさないので、おなかいっぱいになるまで食べ続けた。

有線大賞をとって歌いあげる氷川きよしを横目に、ふとんの部屋にうつった。

そうして朝までえんえんと、汗だくになって熱を下げるのに精を出していたわけだけど、またしてもいい夢をみた。

高校の同級生がご登場。その子がわたしのおなかにすがりついて、脇目もふらずわんわん泣きじゃくり始めたのだった。しかも、小学校の丸太の遊具に腰掛けながら。

そのあとふたりはなかよしこよしになって、実家の親のところに結婚の報告をしに行くことになる、というなんとまあわかりやすいオチが用意されていた。

わたしは男のひとが泣いてるのにとっても弱い。O型・長女気質のたまものなのかな。ブラッド・ピットの泣き顔とかさ、「ハッシュ!」の田辺誠一が川っぷちで泣くとことかね、好きなわけよ。

その同級生はとくに好意をもっていた子でもなかったもんだから、今朝の夢がなにを示すのかは知らない。

けれど、わたしはそのひとの頭を梳いてやりながらぽわーんとあったかい気持ちになっていた。手をつないで実家に向かうまでの間、泣きたいくらい甘く幸せだった。

こないだみた、夢とおんなじようにさ。

朝方、全身汗だくでめを覚ました後、二度寝をして中学生の頃の部活の夢をみた。腰が痛くて思うように動けなかったバスケの試合、やるせなくて、くやしい記憶をおんなじようにたどる夢だ。こっちは10年ちかく見続けてる。

夢ってなんなんだろう?

どうしてこんなに生々しくこの手に感触が残るんだろうな。人の頭撫でたとか、つないだ手とか。パスボールをキャッチしたり、シュートを放った手首のしなりとか。

そしてどうしておいしいもの食べようとする直前には、決まって目が覚めてしまうんだ! これどうにかできないもんかね。

さてさて、今夜はどんな夢が降るのかな。
わたしのところに、みんなのところに。

杜海掲示板
↑みりが整えてくれた実家の『としょしつ』の一角。

自分といっしょに年を重ねて、折れ曲がったり日に焼けてしまった本とまんがたち。

読みたいときに迷わずすぐ手に取れるように、みんながきれいに並べられてたよ。

ずっと箱に詰めこんだんままで、わたしはこの昔馴染みたちの声に充分に耳を傾けてこなかったんだなあって、思った。

みり、どうもありがとうね。

本と会話したくなったら、まんが読んでうきうきしたくなったら、ここにおいで。

ここに、きて
声を聴こう。

杜海掲示板