久しぶりの新選組にまつわる記事のUPです。
ほんとーーーーーーに
ずっと行きたかった「斎藤一忌」に、やっとお伺いすることができました!!
ので、今回も歴史愛を爆発させてw
レポートをまとめておこうと思います。
2016年9月24日【会津若松】
◇第13回 会津新選組まつり「斎藤一忌」
会津まつりの協賛行事として開催される、このイベント。
このために半年前から宿を予約。
(会津まつりと日程が一緒なので激混みなんです)
当日は友人Kとともに全力で参加してきました。
<興徳寺>
会津まつりのメインイベントである「会津藩公行列」の前日にあたる9/24(土)は
「日新館童子行列・鼓笛隊パレード」が午前中に行われました。
パレードが通るのは市内の中央通り~神明通り~鶴ヶ城にかけて。
パレードが神明通りに来るまでの間、
神明通りから入ってすぐのところにある「蒲生氏郷の墓所」とその周辺を訪問。
蒲生氏郷は葦名氏、伊達政宗についで会津領主となった人。
豊臣秀吉により奥羽の押さえとして封じられます。
この地を「若松」と名付け、後世戊辰戦争の舞台ともなる「鶴ヶ城」を築いたキリシタン大名。
ちなみに妻は信長の息女・冬姫。
▼興徳寺(蒲生氏郷の墓所)入口
▼蒲生氏郷といえば、「燕尾形兜(えんびなりかぶと)」
見る度にドロンジョ様を連想しますw
▼左側にうつっているのは、氏郷の辞世の句の歌碑
▼五輪塔(お墓)
御霊屋は戊辰戦争の兵火で焼失しました。
ここまでは普通のテンションで見学。
と、そこで偶然、境内に会津藩主(九代)松平容保の歌碑を発見。
さらにさらに、こんな案内を発見!!!
戊辰戦争時、焼け落ちる前は老中・板倉勝静と桑名藩主・松平定敬の宿舎だったとのこと。
さらに、土方歳三も往来しているとの案内。
また幕府直轄の衝峰隊により、宇都宮城攻防戦における戦死者の追悼慰霊法要(600名参列)が行われたとも。
知らなかった~。
立ち寄ってよかった~。
さらに案内板に記されていた「秋月登之助」の墓所を目指します。
秋月登之助は、大鳥圭介率いる伝習隊の第一大隊の隊長です。
宇都宮城攻防戦では、土方歳三が彼の参謀を務めていました。
実戦経験や年齢からいえば歳三の方が上官になりそうですが、
会津藩士であった秋月を立てたと伝わっています。
なお、二人とも宇都宮城の戦いで負傷しています。
興徳寺の門から出て右手に直進したところに墓所があります。
猫がお出迎えしてくれました。
うろついてみるものですね。
いやー、また一つ詳しくなった!
<日新館童子行列・鼓笛隊パレード>
そうこうしている間に、音が聞こえてきたので神明通りに戻り、パレードを立ち見。
沿道には人出がありますが、場所取りをしなくてもまぁそれなりに見れました。
▼日新館童子行列
小学6年生の子たちです。
袴にワラジ姿の女の子は、腰に刀、肩に銃を抱えています。
男の子は洋装、ワラジ、刀に銃に、肩には会津藩の袖章。
こちらの女の子たちは薙刀部隊でした。
▼鼓笛隊パレード
近隣の小学生たちが学校ごとに行進していきます。
私も友人Kも元吹奏楽部のためか?
意外と見ていて(聞いていて)飽きなかったです。
▼東京ディズニーリゾートスペシャルパレード
な、なんと今年はミッキーたちがこのパレードに参加していました。
ミッキーにドナルドにダッフィーまで。
地元の小さな子供から大人までものすっごい興奮ぎみで
中学生くらいの子が「会津でミッキーに会えるなんて~!!!」と騒いでいるのをみて微笑ましかったです。
沿道は一気に人でごった返しましたw
この車ごと、舞浜から来たのかな。すごいな。
パレードダンサーを勤めていたのは、会津の子たちでしたよ~。
せっかくなのでミッキー達を遠巻きに眺めてから…
「斎藤一忌」が行われる七日町の阿弥陀寺まで競歩のごとく歩く!
開始は13:00。
ミッキーが神明通りを通過したのは12:00を過ぎていました。
普通に歩いたら、神明通りから阿弥陀寺までは女性の足で20分程でしょうか。
何時くらいから人が集まるのかわかりませんでしたが、
「半年前から予定してたんだから、いい場所で見たい!」
↑とはいえミッキーもスルーできなかった私w
という思いでとにかく歩く!歩く!走る!(昼ごはん抜き)
汗だくになりながら、12:20頃には阿弥陀寺に到着。
参加者ぽい方はまだ10名程しかいない!!
やったー(*´Д`)
<斎藤一忌>
まずは境内にある東軍墓地や藤田家のお墓、本堂へお参り。
▼本堂には会津と新選組の旗が翻っていました。
▼藤田家墓所の周りは設営が完了されていました。
準備完了で、最前列を確保。
流石に、二つしかないベンチは早く来られていた方がゲットされていました。
混みだしたのは12:40くらいから。
参列者の方もそろいだして、ろうそくに火が灯りました。
13:00、予定通りに開始です。
新聞記事によると、境内には200人程の方が集まっていたみたいです。
が、最前列!
私の視界を遮る者はいないっ!!
まずは、関係者の方の挨拶です。
ご子孫をはじめ、会津若松市の市長さんや七日町の関係者、
日本全国の新選組にまつわる団体の方の代表の方々が来られていました。
齋藤一(藤田五郎)の直系ご子孫である藤田太郎氏の挨拶もありました。
続いて、阿弥陀寺のご住職による読経と参列している関係者の焼香。
墓前には今年見つかった斎藤一の晩年の写真がありました。
最後に「無外流居合奉納」です。
無外流は斎藤一が習得していた流派の一つと言われています。
演武奉納は厳かな雰囲気の中、行われました。
披露してくださったのは、↓の二組と宗家です。
14:10、予定より少し時間が押していましたが、これで「斎藤一忌」が終了です。
この後、一般の参加者もお焼香できる時間となりました。
引き続き、阿弥陀寺本堂にて「記念対談」が行われます。
対談の模様は、ながーくなるので次回に!
<つづく>