今回とりあげるのは「晴明神社」。
陰陽師でとっても有名な安倍晴明を祀っている神社です。
先月京都に行った折、近くを通ったので参拝してきました。
陰陽道に関わる文学作品は非常に多く、陰陽師・安倍晴明について知ってはいます。
むしろ日本人で知らない人はいるんだろうか?
五芒星とか式神とか、なんだかそれだけでかっこいいですよネ?←
だがしかし!
歴史研究家達にどのように研修されているのかは、全く知らない(´-ω-`)
この記事を書くにあたり陰陽道や安倍晴明について調べてみようかと思ったけど、
色々な立場からの色々な意見が乱立し、中にはフィクションかどうかもわからなくて。
・・・あきらめました。
なので「晴明神社」によって発表されている内容に肉付けをして、まとめておきます。
◇晴明神社
ご祭神は「安倍晴明御霊神」。
晴明本人ですね。
晴明神社によると、安倍晴明(920-1005)は孝元天皇の皇子・大彦命のご落胤。
孝元天皇は「欠史八代」といわれる天皇のお一人。
「欠史八代」とは古事記・日本書紀において系譜は存在するものの、
その実績が記されていない、つまり記紀で出番のなかった天皇達。
現在も、後世になって創作された説・実在した説があります。
天文暦学の道を極め、朱雀・村上・冷泉・円融・花山・一条天皇と6代にわたり仕えたといいます。
ちなみに孝元天皇は8代目(紀元前214~158)、朱雀天皇は61代目(930~946)。
(在位情報は宮内庁の天皇系図より)
なんか「人間」としては、ちょっと無理がある気がするけど。
まぁ、神の系譜ってことなのでしょう。
<安倍晴明のお仕事>
お仕事は天文陰陽博士。
「陰陽寮」という、律令国家における政治の中心である八省の一つ・中務省に属する部署で
占い・天文・暦・時を専門とするお仕事に従事していました。
陰陽寮のトップは陰陽頭(今でいう大臣)。
陰陽助(大臣補佐)などの下に専門職である陰陽博士・天文博士・暦博士・漏刻博士らが各1名、陰陽師が6名。
その下に修習生や実務部隊がいたようです。
▽専門職のざっくりとしたお仕事内容
・陰陽博士・陰陽師
占星術や易により物事の吉凶を判断したり、土地の相を判断
・天文博士
天体現象から未来に起こるであろう災害を予測に密かに天皇に教える
・暦博士
暦の作成
・漏刻博士
水時計による時報の発令
ちなみにwikiによると明治3年(1870)に陰陽寮は解体され、
天文暦道の権限は文部省の天文暦道局に移されました。
大宝律令などの律令国家制度が整えられた時代からあったということは、
700年頃から約1000以上にわたって陰陽寮は存在したという事(。-`ω-)
すっごいなー、知らなかったー。
ちなみに江戸幕府には「天文方」といわれる天体運行や暦の研究機関がありました。
幕末には天文暦道以外にも測量、地誌、洋書翻訳なども取り仕切った部署です。
律令国家時代の天文や暦はなんだか神秘的なイメージがありますが、
国家をおさめ、戦争に勝利するためには天文や測量はとても重要な部署ですからね。
晴明の出世は決して早くなかったとされますが、晩年に天文博士に任じられます。
今でいえば、公務員・官僚といえますね。
寛弘2年(1005)9月26日、85歳で亡くなります。
寛弘4年(1007)に一条天皇の命で、晴明の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
<晴明神社のご利益>
ご利益は「魔除け」「厄除け」です。
晴明がご祭神ですから、そのまんまですね。
晴明神社では五芒星を「晴明桔梗印」といい、晴明により創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつとしています。
この晴明桔梗印(五芒星)や陰陽の対極図、桃などをあしらったお守りが多く、結構可愛らしいですよ。
▽晴明神社のお守り・お札類に使用されているざっくりとした「祈祷呪符」の説明
・五芒星
☆型のマーク。
万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるとする五行説に基づく。
・対極図
言葉で表すのが難しいマーク。←ググってください
森羅万象の総ては互いに対立する「陰」と「陽」の気から成り立っている
とする陰陽説に基づく。
・桃
桃太郎伝説にあるように、昔から魔をよける果実とされています。
現在の晴明神社は氏子を中心とした整備・改修がすすみ、とってもきれいです。
歴史を感じる~っていうより、
文学作品を再現したみたいなきれいさ、があります。
▽一の鳥居
額には神社名ではなく、晴明桔梗印が掲げられています。
▽一條戻橋
晴明は十二神将を式神(陰陽師が使役する鬼神)とし自宅においていたといいます。
一説によると、奥さんが式神の顔を怖がったので(まぁ、鬼だしなぁ)
一條戻橋の下に封じ込め、必要に応じて召喚しました。
…式神は顔が怖いって理由で、屋根のある場所を追い出されたのねw
ん、あれ?奥さんも式神がみえる人だったのかな?
一條戻橋は他にも伝説や処刑の話が沢山伝えられています。
境内には大正10年から平成7年まで使用されていたものが移築・再現されています。
ちなみにこちらが現在の一條戻橋。
橋の下は整備されていて通れます。
▽晴明井
晴明が念力で湧き出させたという井戸。
千利休がこの水を使ったとも伝わっています。
▽桔梗
晴明が使用した五芒星のことを、桔梗印と呼んでいます。
それにちなんで境内には桔梗が植えられています。
▽厄除桃
陰陽道では桃は魔除け・厄除けの果実。
使用方法「厄をこの桃に撫で付けて落とします」
▽二の鳥居
▽千利休屋敷跡石碑
二の鳥居の左側にあります。
千利休の邸宅がこの辺りにあったと伝えられています。
▽本殿
明治38年に建てられたもの。
右に写っている楠はご神木で樹齢およそ300年と伝わっています。
参拝者に撫でられまくって、表面はツルツルです。
▽御朱印
最後に御朱印をご紹介しておきましょう。
昨今の御朱印ブーム。
「御朱印の本来の意味を分かっているのか!スタンプラリーじゃないぞ!」と
神社仏閣からはその理解を参拝者に求める声が上がっていますね。
※御朱印は本来、納経の証としていただくものです。
そんな中、この晴明神社の社務所では御朱印をお願いしに行くとこう言われました。
「スタンプですけれど、よいですか?」と。
「え?」って一瞬固まりましたが、お願いした以上頂いて参りました。
参拝客も多く、また手順を簡略化したかったのかもしれませんが…。
なんか納得いかない。
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晴明神社
住所:京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)
HP:http://www.seimeijinja.jp/
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