2月24日(水) 続き

 

高岡市から一路、富山市へ。

富山と言えば薬売り。

ということで、1か所資料館へ。

 

◇富山県富山市/広貫堂資料館

広貫堂は明治9年(1876)創業の製薬会社です。

この広貫堂の工場敷地内に資料館があります。

ここでは「越中売薬の歴史」について、映像と展示で知ることができます。

 

まずは受付へ。

「10分程の映像みますか?」聞かれたので「ぜひ」と答えて椅子へ。

誰もいなかったので、ど真ん中で視聴。

案内役のお笑い芸人にちょっと・・・とは思いましたが、わかりやすくまとまっていました。

 

富山と言えば薬売り。

昔からあるイメージですが、意外に江戸時代からなんですよね。

 

映像からの受け売りですが・・・

 

元禄3年(1690)、江戸城内で三春藩の藩主が突然腹痛に。

そこに、居合わせた富山藩二代藩主 前田正甫(まさとし)公が

携帯していた「反魂丹(はんごんたん)」という薬を与えます。

するとたちまち痛みはおさまりました。

これをきっかけに、諸藩の大名の知るところとなり、富山のくすりが評判になったそうです。

 

越中売薬の起源については諸説あるようですが、

広貫堂で知ったことをベースにいくつか簡単に調べてみました。

 

元来、前田正甫公は漢方薬研究に力を入れていたようです。
持病があり、晩年、藩医が18人に及ぶほどだったとか。

 

(なお、富山藩は加賀藩の支藩で藩主は前田氏です)

 

その前田正甫公が持っていた「反魂丹」という薬。

前述のくだりだと反魂丹は富山の薬のように聞こえますが、

反魂丹は備前岡山藩の医師 万代常閑(まんだいじょうかん)がつくったものです。

※発明者ではありません。

 

これがよくきいたので、正甫公は製造方法を教えてもらい、

薬種屋松井屋源右衛門に調整法を伝授。

 

よく効く薬の作り方は、できれば秘密にしたいもの。

けれど正甫公はその製造方法を公開し、共通の成分で、ほぼ同じ処方の商品を製造させました。

希望者にその製造方法を伝えていったのです。

 

 

さらに松井屋の手代の八重崎屋源六により、売薬行商がスタートします。

 

正甫公は他藩にあらかじめ許可をとり「他領商売勝手」を発布。

これで商人が他藩で商売できるようになります。

 

他藩で商売をしたり、商売で得た財を藩外へ持ち出すことは厳しかったこの時代。

画期的ではありますが、根回し、大変だったろうなぁと思います。

ただ度々資金流出と情報漏えいを防ぐため、営業停止をいいわたす藩もあったようです。

とはいえ、品質が安定した薬で領民の命を救えるとあって、順調に発展。

 

天保年間(1830~44)に1700名で年間5万両、

文久年間(1861~64)には2500名で21万両を売り上げたという記述も見つけました。

これより前の嘉永の頃で、オランダの軍艦1隻3万~5万両。

これほど他領から結構な現金を持ち帰るまでになるとは、ビッグビジネスですね(。-`ω-)

 

また「用を先に利を後にせよ(先用後利)」という正甫公の精神に従い、

源六は良家の子弟の中から身体強健、品行方正な者を選び、各地の大庄屋を巡ってくすりを配置させました。

そして、毎年周期的に巡回して、使った分だけの謝礼金を受け取りました。

 

この先用後利はこの時に考えられたものではありません。

従来よりあった商習慣です。

(立山信仰との関係性も指摘されていました)

ただこの既存システムを最大限に活用したのが、富山の売薬行商だったのです。

 

同じころ、八尾の蚕種(蚕蛾に紙上に卵を生みつけさせたもの)配置業

翌年代金をもらう先用後利で発展していきました。

1800年代初めごろには全国の1/4を販路としてようです。

 

富山藩を支えた、養蚕、売薬、そしてその両方に活用された八尾和紙。

なるほど、という組み合わせですね。

 

また明和2年(1765)六代藩主 利與(としとも)公は「反魂丹役所」を設立します。

 

反魂丹役所は、売薬人の統制管理、身分証明、製薬の指導、懸場帳の整備、資金融資や他藩との交渉でした。

また有名になれば偽物も出回りますから、厳格な品質管理が重視されました。

富山藩はこれらの保護により、1850年頃には収入の15%をカバーしています。

 

 

もともと富山藩の財政状況はあまりよくなかったようです。

神通川の氾濫など地形による天災によく見舞われ、しかも養わないといけない武士が多かった。

江戸後期になったら、結構な借り入れをしています。

国債まみれの日本のようだ・・・。

だからこそ、商売で儲ける必要があったのでしょう。

 

 

さて、起業・ビジネスの拡大において、どのような付加価値のある商品を、どのようなシステムにのせ流通・販売させるかは重要な点ですが・・・

さらに、誰が売るかも大切でしょう。

 

売薬人は藩の統制以外にも、「向寄」「仲間組」を結成して交渉ごとにあたったり、

売薬人同士のルール(業界内の自主規制ルールですね)を定めて守っていました

 

喧嘩や賭け事、歓楽街への立ち入り禁止、仲間の相互援助義務、売薬専業の徹底など

売薬人の信用を保つための自己規制や罰則。

また過当競争を避けるため、重ね置き(既存顧客のとりあい)の禁止や、新規開拓の制限、販売価格の協定など。

 

また江戸時代から第二次世界大戦の頃まで、売薬人のそのほとんどが真宗信者だったそうです。

懐や行李の底に小さな仏像を納めて、全国を歩き回っていました。

 

街道が整ったとはいえ、安全に旅をするのが難しい時代です。

「仏様がみていてくれる」という信仰からくる精神力の強さも必要だったでしょう。

 

また「顧客に薬のご利益を与え、その感謝の気持ちとして代金をもらう」という

豊かさを分かち合う精神も育まれたことと思います。

 

もちろん売薬人は、読み書き算盤はもちろん、薬学、医学知識に加え、商売のセンスが必要です。

江戸時代は、農民や町人の次男・三男にとっては憧れの職のひとつだったようですね。

結構なハードワークだと思いますが、できるセールスマンはいつの時代もかっこいい。

 

さらには、売薬人の話を調べていたら、嫁の世話をして仲人をつとめたり、新しい情報をもたらしたり、農作業に出かけて留守になっている家で湯を沸かして待っていたり、泊めてもらったり・・・

顧客と親戚か友達のような信頼関係を築いているお話が散見しました。

 

勤勉で、品行方正、信心があつい売薬人が多かったのでしょうね。

でなければ、こんなに浸透することもなかったでしょう。

うーん、いつの時代もセールスマンの質って大切ですね。

 

こんな売薬人の財産ともいえるのが「懸場帳(かげばちょう)」

得意先名、住所、訪問年月日、集金高、置き薬の名前、数量、家族構成、嫁ぎ先、引っ越し先、健康状態等々書いてある顧客リストです。

これもセールスにはかかせない大切なものですよね。

 

実際懸場帳は、売買できる有価証券であり、権利書であり、

借金の担保にもなる貴重な財産でした。

1冊で100万から数100万していたという記述もありました。

 

そうそう、「紙風船」をはじめとする土産(いわゆる粗品)を薬売人たちは顧客に渡していました。

粗品といわれると当たり前な気もします。

しかし文化が循環するスピードが遅い時代、娯楽の少ない地方ではとても貴重なものでした。

今ではネットで世界各地のことが知れますが、昔は売薬人が運んでくる文化や情報は貴重なものだったと思います。

 

売薬人だけど、薬を売るだけではない。

付加価値のある存在ですね。

できる証券マンといっしょだなぁ、と思います。

 

ここまで調べて書いていたら、ついつい思い浮かべてしまったのが「蟲師」

わかる人にはわかってもらえるハズ(。-`ω-)

 

 

さて、富山藩を支えていた売薬事業。

明治初年には、富山藩は100種を超える薬を取り扱っていました。

 

しかし廃藩置県により、反魂丹役所はなくなり、

西洋医学に基づく製薬の発展を期待した明治政府は

明治3年に「売薬取締規則」、

明治10年には「売薬規正法」を制定します。

 

国から様々な規制をうけたため生まれたのが、「売薬結社広貫堂」。

売薬人が共同出資でつくった製薬会社です。

今回お邪魔したところですね。

 

この後も、国から様々な規制をうけつつも、

富山の薬事業は発展していきます。

 

昭和10年頃には13,000人あまりの売薬人がいて、

県内の鉱工業生産額の首位を占めていました。

 

 

 

明治以降から現代に続く歴史も面白そうなのですが、

またもや歴史好きの泥沼にはまり・・・江戸時代で力尽きました。

 

土方歳三の生家が製造していた石田散薬。

あれは昭和の薬事法で製造されなくなったって聞いていますが、

それまでにも明治以降、売薬規正法とかで影響受けてなかったのかしら?

 

とかね。

 

薩摩藩は財政立て直しのため、富山売薬「薩摩組」に昆布を北前船で仕入れさせ中国に輸出、

中国からはジャコウなどの生薬を輸入して富山売薬薩摩組に渡していました。

密貿易で♪

あと、寺田屋事件では富山の売薬人が隠密として動いていたようです。

富山売薬薩摩組と薩摩藩、ギブ&テイクな関係だったのね?

 

とかね。

 

他にも色々気になっちゃって仕方ないんです、本当は。

 

ちょっと!

ほんのちょっとだけ!

調べるつもりだったんだけどなぁ・・・。

 

いっつも気づけばどっぷりはまっちゃう(*´Д`)←幸せ

 

 

◆広貫堂資料館

 

 

 

 

 

 

 

 

入館者がもらえるプレゼントもありました。

栄養ドリンク!

お薬やちょっとしたお土産も買えます♪

 

 

これ、調べたかった( ;∀;)

時間なかったので、写真だけ貼っておきます。

 

 

<つづく>