第95回 「聖アンナと聖母子」 過去の考察 | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

 

  2007年の頃、「聖アンナと聖母子」をみて

聖アンナ(母親)のひざの上に聖母マリア(大人の娘)が座るものか?と疑問をいだき、

聖アンナと聖母マリアに、年齢差が感じられないこと、

また聖アンナが杖をもっていること等から(←杖に関しては、第93.5回で間違いを訂正)

聖アンナはイエス(男)で、

聖母マリアには、マグダラのマリア、

幼子イエスは、産まれてたかもしれない二人の子ども

が兼任されている。と、解釈していました。

 

 

というのも、はじめに「最後の晩餐」を見ていたからです。

 

 

 

  「最後の晩餐」の人物の兼任

 

自分がレオナルドの作品に惹かれたきっかけは、ダン・ブラウンの映画「ダ・ヴィンチ・コード」でした。「ダ・ヴィンチ・コード」では、イエスとマグダラは結婚しており、マグダラは妊娠していて、その子孫が生き残っていたというストーリーでした。

 

「ダ・ヴィンチ・コード」に出てくる、岩窟の聖母やモナリザのアナグラムといった暗号めいたのも、レオナルドによるものではなくダン・ブラウンの創作によるものですが、「最後の晩餐」のイエスの隣のヨハネが、反対側に平行移動して、イエスによりかかる姿に変化する場面には、衝撃を受けました。

 

レオナルドは「最後の晩餐」にマグダラのマリアを描いた!

それが始まりで、レオナルドの作品に夢中になりました。

 

 

といっても、聖書上の12弟子のヨハネとマグダラのマリアが同一人物ということではなく、

レオナルドが「最後の晩餐」のヨハネを除外してマグダラのマリアを入れたのでもなく、

 

自分の考えでは、ヨハネ兼マグダラです。

「ある人物に別の人物も兼任させる」いう方法です。

 

ある人物に別の人物を兼任させるわけですから、容貌が似ているとか何か二人に繋がる特徴を持たせねばなりません。

 

12弟子のヨハネは、従来、ひげのない若い男性で描かれていましたので、レオナルドの描くヨハネが女性のように見えても、容姿的には違和感はないのです。

 

ここで重要なポイントは、性別が異なる人物の兼任があるということです。

 

だからカルトンの「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」や「聖アンナと聖母子」も、性別の異なる人物の兼任の可能性を考えたのです。

 

 

次に、ヨハネ兼マグダラがイエスの隣に平行移動するように、ペテロもイエスの隣に平行移動すると考えました。

それは、ペテロの左手とペテロの背中に伸びる手首が、蛇の鎌首を表現していると感じたことからきています。平行移動すると、鎌首はイエスの首元に、ナイフはマグダラの腹の上に位置します。

 

十二弟子の中で裏切り者といえば、一番にユダの名があがりますが、

ペテロもイエスが捕らえられた後、人からイエスの仲間だろうと問われても「私は知らない」とイエスとの関係を三度も否定しています。

 

神に愛されたアダムとエバが蛇(サタン)に誘惑されたように、蛇(サタン)の誘惑は、ユダより先にペテロにあったと、レオナルドは考えていたのだと思いました。

※このあたりは、第34回~37回を参照ください。

 

 

また「最後の晩餐」は、人物のポーズや手の動き、食卓の魚など、注目する部分を変えることによって「最後の晩餐」の時間から「イエスの弟子らへの顕現」までの複数の異なる時間がみえるようになっています。

 

 

 

 

 

 

レオナルドの「最後の晩餐」は、マタイ・ルカの福音書の内容もありますが、主に「ヨハネによる福音書」にそったもので、そのヨハネによる福音書は、上の画像の「ペテロらが漁でとった魚で朝の食事」の後に、まだ続きがあるのです。

下矢印

ヨハネ福音書 21章15節~19節

 

彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、
「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。
ペテロは言った、
「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。
イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。 

またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。 

イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、
「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし、年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。」

これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話になったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

下矢印参考記事「聖書物語4~5」

 

 

イエスは、シモン・ペテロに言われた

わたしの小羊(マグダラのマリアのお腹の子)を養いなさい

わたしの羊(信徒たち)を飼いなさい

わたしの羊(マグダラのマリア)を養いなさい

 

 

「聖アンナと聖母子」は、「最後の晩餐」の異時同図の続きにある、

「わたしを愛するか」「わたしの小羊を養いなさい」とペテロに三度語りかける、

ヨハネ21章15節~19節の聖句も関連していると思っていたのです。

 

・・・つい最近まで。

 

 

第96回に続く