これまで何度も「異時同図法」について説明してきているので、連載記事をはじめから読まれてくださっている方には、ホントくどいようですみません。
普通の異時同図法
世間一般で知られる「異時同図法」というのは、絵の中に同一人物の異なる時間を複数描く方法のことです。
参考例として、ブランカッチ礼拝堂にあるマザッチョの『貢ぎの銭』は「異時同図法」です。
ペテロの異なる時間が描かれています。
システィーナ礼拝堂にあるボッティチェリの壁画も異時同図法です。
イエスの異なる時間が描かれています。
「誰」が複数描かれているか、鑑賞者に判別できるようにしていなくては、その作品が「異時同図法」になっているとは鑑賞者には解りません。
だから異時同図にする人物の衣装や容姿を同じにするか、または周囲の人々らの様子で、それが誰の何の場面か解るようにさせるのが当然です。
異時同図法には見えない異時同図法
ヴェロッキオ工房に弟子入りしていたレオナルドとボッティチェリが仕掛けたのが、「キリストの洗礼」でした。
この「キリストの洗礼」は、普通でみれば、異時同図法と言う人は皆無でしょう。
同一人物を複数描くのではなく、三羽の鳥にイエスを象徴させて、イエスの異なる時間を示したのです。
二人の天使の視線は鳥の仕掛けを解くヒントになっています。
ボッティチェリとレオナルドは「異時同図法」の既成概念の枠を越えてきたのです。
その後もレオナルド、ボッティチェリは、普通には解らない仕掛けを作品に込めるようになるのです。
その仕掛けの基本が、「兼任」であり「異時同図法には見えない異時同図法」です。
ざっくりとした概要ですが、こちらを参考にしてください。
カルトンの聖母子の別の姿
2007年、ブログをはじめた頃、この「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」の解釈が難関でありました。
この一作品だけを普通にみるならば、タイトル通りの人物構成とみるのが当然です。
でも自分は、聖アンナの天を指す人差し指が気になっていて、
またどうしても、聖アンナがイエスにみえたのです。
そして、ラファエロの「アテナイの学堂」をみて、彼らの位置関係とポーズ、視線から確信を持ったのです。
天を指す人差し指のポーズのレオナルドがいて、
ラファエロの自画像と反対側に、こちらに視線を向ける等間隔の3人は、
幼子イエス→子どものイエス→大人のイエスであると。
そこから、カルトンの「聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ」も同じく、
幼子イエス→子どものイエス→大人のイエスであると。
「幼子イエス→子どものイエス→大人のイエス」の異時同図とは、どういうことか?
福音書のイエスの生涯
イエスの生涯は、新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書に記述があります。
イエスの生涯といっても、記述があるのは、
「イエスの誕生(0歳)」「12歳」「公生涯(30代)」の3つの年代になります。
イエスの生涯の参考記事
「イエスの誕生(0歳)」
「イエス 12歳」
「イエス 公生涯(30~33)」
これは、福音書に記述のある「イエスの誕生(0歳)」「12歳」「公生涯(30代)」の3つの年代の異時同図法
公生涯のその先も感じさせるものを描こうと模索していたのではないかと思うのです。
第74回に続く