第16回 フィリッポ・リッピが遺したもの | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

ボッティチェリは1460年から1467頃までフィリッポ・リッピの工房で修行し、フィリッポ・リッピがプラートでの制作を終えて1467年にスポレートに移転した頃からは、ヴェロッキオ工房に出入りするようになります。

 

 

フィリッポ・リッピはスポレート大聖堂の壁画「聖母マリアの生涯」を1466~67年(複数の情報があり年数がはっきりしません)に制作開始。もちろんリッピの工房の弟子らも制作に加わっています。(おそらくボッティチェリは「聖母マリアの生涯」の制作にはもう関わっていなかったと思います。)

 

ところが1468年に病に伏し1469年10月に死去します。

このスポレート大聖堂の「聖母マリアの生涯」が遺作となってしまったのです。

まだ未完成であった天井画部分は息子のフィリッピーノ・リッピ(当時12歳)が、壁部分は弟子のフラ・ディアマンテ(当時39歳)が後を引き継ぎ完成させたそうです。

 

フィリッポ・リッピは遺言で、息子フィリッピーノ・リッピの後見をフラ・ディアマンテに託しますが、フラ・ディアマンテはこの大聖堂の制作で得た賃金を自分の資産を購入するのに使い、フィリッピーノ・リッピにはほとんど渡さなかったといった内容がヴァザーリの記述にあるそうです。(酷い弟子だね~ガーン

 

しかし当のフィリッピーノ・リッピは、そんなディアマンテではなく、才能あるボッティチェリに師事し,ボッティチェリの良き弟子となり、協力者になったそうです。

 

 

上差し遺作、「聖母マリアの生涯」全体。

天井は「聖母戴冠」で壁面は向かって左から「受胎告知」「聖母の死」「キリストの誕生」のテーマが柱で区切られて描かれています。この柱も描いたものです。

 

 

上差し「受胎告知

壁が平面ではなく曲面なので、建物も曲面に合わせて反ってますね。

 

上差し「キリストの誕生」

 

上差し「聖母の死」

道を登った右側に聖母マリアが入るための石棺があります。道は天にも続いているようです。

 

右側の黒い帽子の人がフィリッポ・リッピの肖像。視線と手の形が気になります。

周囲の男性陣は制作に携わった工房の人らしいです。息子もいるのかな?

 

 

上差し「聖母戴冠」

聖母マリアが被昇天ののち、息子イエス・キリスト又は、父なる神によって戴冠をうける場面。

聖書には「聖母戴冠」の記述はありませんが、12世紀後半に描かれるようになった図像だそうです。

 

 

プラート大聖堂とスポレート大聖堂

 

フィリッポ・リッピの遺したこの二つの壁画は、ボッティチェリとダヴィンチがこの先に、”独創的”な異時同図を描いていく原点となったのでしょう。

 

 

 

フィリッポ・リッピが亡くなって3年後、

ヴェロッキオ工房で二人が制作に関わった「キリストの洗礼」は、異時同図には見えない異時同図。

三羽の鳥にイエスを象徴させてイエスの生涯を描いたものです。

 

 

ダヴィンチが単独で描いた「受胎告知」では、天使を兼任させ、墓碑を模した書見台と聖書の描き方によって、「聖母マリアの死の告知」を重ねたのです。こちらも聖母マリアの異時同図には見えない異時同図といえると思います。

 

 

また「受胎告知」は正面から見ると、聖母マリアの右手が長く不自然にみえますが、右下方向から見上げようとすると、ちょうどよく見えるように描いているという解説が数年前に「美の巨人たち」の番組でとりあげられていました。

 

 

ダヴィンチは、壁画でもないのに、「受胎告知」を飾る壁の位置鑑賞者側の立ち位置を考慮した上で描いていたのですね。照れ

 

彼の遺作は、若きボッティチェリとダヴィンチに無言の指南を与え続けていたのでしょう。

 

 

 

 

 

ダヴィンチの作品に影響を与え関わっていたのは、ボッティチェリだと思っていましたが、そのボッティチェリの師フィリッポ・リッピは、さらに深いところでダヴィンチに影響を与えていたのだと気づいたのは、実はここ最近でアセアセ

 

 

さらに、そのフィリッポ・リッピの師ともいえる人物は、なんと昔から異時同図法の説明をするのにお世話になっていた「貢ぎの銭」を描いたマザッチョでした。アセアセ

なんで今までボッティチェリの師匠を調べなかったのか・・・。笑い泣き

 

 

 

 

セキセイインコ黄犬紅葉宇宙人  犬うお座  紅葉おにぎり猫宇宙人やぎ座

 

 

 

はじめにマザッチョの異時同図があって、

 

その弟子のフィリッポ・リッピがその異時同図を進化させ、

 

その弟子のボッティチェリが応用を加え、

 

終にはレオナルド・ダ・ヴィンチが究極の異時同図を描きあげるのです。

 

 

 

・・・まだまだ先は長いです。