「あなたの戒めの道を私に悟らせてください。
私が、あなたの奇しいわざに
思いをひそめることができるようにしてください。」
(聖書箇所 詩篇119編27節)
昨日、仲間たちと旧約聖書の詩篇のわかちあいをしていた時に示されたこと。
神様との結びつきがあやふやになってそれゆえ、現実がうまくいかないときがあります。
でもこういうときは神様との結びつきを回復すればことはすむわけです。
(勿論、神様との結びつきの回復は何かを捨てなければならない時もあり、困難を伴うこともありますが・・・・・)
さて、それとはまた違って神様との結びつきはしっかりしているし、これ以上はどうしようもない。
しかし現実世界がどうも空回りする時もあるわけなのです。
常識的に考えると空回りどころか完全に袋小路の状態なのです。
そしてこうなると絶望に近き気分になる。
しかしこれは常識的に考えるから袋小路になってしまうのですね。
問題は聖書は何と言っているか?と言うことなのです。
この聖書箇所で神のわざは「奇しい」と書かれてあります。
つまり神様は常識を超えた奇蹟的なわざをなさるのだ。と言うことなのです。
信仰、信仰と言ってあまりに常識からかけ離れた道を歩むのも確かに考えものであります。
しかしあまりに常識にとらわれて神様の奇蹟を信じないのも、それは不信仰ということになるのだと思いました。