余裕がなくなる時 | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

「こうありたい」はなかなかクセモノです。


「こうありたい。こうでなくては自分が許せない」はまだまだ余裕がある証拠でこの余裕がまさにクセモノなのです。


だから「こうありたい」を打ちこわすために神様は時々私たちをとことん追い詰めたりするのです。


そうなると「こうありたい。こうでなくては自分が許せない」なんていっている余裕がなくなるのです。


笑われようが、恥をかこうが、うしろ指をさされようが、裸になろうが(まあ、そこまでやる必要はないですが)そんなこと考えている余裕がなくなるのです。


観念的な理想は吹き飛んでしまい、とにかくやるしかないのです。


そこではじめて癒しというものが私たちの心に訪れてくるように思います。