もちろん、私は伝道のために帰ったわけです。
しかし、元労働運動である組合の委員長までたたき上げた父は相変わらず、「俺は無神論者だ」といっておりました。
しかし、父のために伝道してくださっている姉妹もおり、まだまだ、私はあきらめないのです。
その点、母は不思議な人で(というか、女性が不思議なのかな?)私が祈ろうか?というと見よう見真似で、手を組んで、目をつぶって一緒に祈ってくださった。
彼女はPL学園の出身で「私も毎日あなたの祈っているのよ。イエス様はよくわからないけど、神様はいると思うから。」とあるときそう言っていたのです。
それで、私が「お母様、大変申し訳がございませんが、母の祈りは何よりも強し。と言われます。ですから、私が主の祈りを教えさせていただきますので、何もわからなくてもよろしいので、主の祈りをいのってくださいませ」というのを、もちろんそんなお上品な言葉でなく宮崎弁で、「母ちゃん、ま、わりっちゃけどよ、母ん、祈りはついぃっていうかいね。イエス様ん祈っちくんないよ」と言うと、その後は素直にイエス様に祈ってくれているらしいのです。
女性のあの素直さは時に私みたいな頭でっかちを大変驚かせますね。
確かに信仰というのはあまり考えすぎるとなかなか身につかないものです。
ありがとうございます。