抜毛症にかかっている時の私は常に批評される立場でなく、批評する立場でありました。
自分を表現し、行動に移すのではなく、行動している人間達を批評する人間だったのです。
行動し、失敗し、人から笑われるのを何よりも恐れたのです。
しかし私の中では行動し、表現したい欲求が絶えずありました。
その欲求不満が抜毛と言う形で現れてきたようにも考えられるのです。
愛するイエス様、イエス様にある兄弟姉妹の方々、このブログを読んでくださった方々、ありがとうございます。感謝します。