昔、私は自分を善人だと思ってました | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

「けれども、『以前私たちをを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている』と聞いてだけはいたので、」

(聖書箇所 ガラテヤ人への手紙1章23節)





私は中学一年生ぐらいまで自分を「善人」だと思ってました。




しかし今思うと本当に不思議なのですが自分を善人だと疑いもなく思っていたわりには、信じられないぐらい、私は残酷で幼稚な思考回路も持ち主だったのです。





例えばA君と言う人がいるとします。




すると私は無意識のうちにそのA君が私の回りの社会において自分より立場が上か、下かを判断しようとするのですね。





そしてそのA君が自分より下だと思うと、そのA君を馬鹿にして(あからさまではなくても心の中で無意識に馬鹿にする)、そのクセA君が自分より立場が上と判断すると、そのA君に媚びへつらうのです。(これも無意識に)





それで自分のことを「正義の味方」ぐらいに平然と思い込んでいたのです。





だから、その辺りがイエス様の光で照らされてきた時はものすごく辛かったですね。




ありのままの自分が見えてくるというのは解放される部分もあるのですが、そのように赤裸々な自分が見え出した時は、大変辛くもなってくるのです。




しかしイエス様の十字架まで導かれていけばそれらすべての自己嫌悪や、恥の感覚から解放されますから、心の中がスカッとしてその大変さも終わりを告げることになるのです。





愛するイエス様、イエス様にある兄弟姉妹の方々、このブログを読んでくださった方々、ありがとうございます。感謝します。