「君は愛されるため生まれた」というクリスチャンの間でよく歌われるポップス調の賛美歌がある。
今ネットで調べたら「イ・ミンソプ」という牧師先生が神学生時代につくった歌だそうである。
「君は愛されるため生まれた」なんて歌詞からしてすごい。
よっぽど聖霊様に満たされた牧師先生に違いない。
私にはこんなことをとてもひと様には言えない。
それどころか人様に対して「こいつは呪われるために生まれてきたんじゃないのか?」とすら思うときがある。
私はその程度のクリスチャンである。
しかし、ふと君「も」なら言えるかもしれないと思うときもある。
それはイエス様の十字架と復活が示されたあの原点に立ち帰った時のことを思い出す時である。
それはこの私こそが神様からの呪いを受けても致し方ない存在だということがはっきりと示された時のことである。
この卑怯で、ずるくて、自分勝手で、中途半端で、どうしようもない私ですら救われたのだ。
ならばこの人だって神様が見捨てるわけがない。
このどうしようもない私だって神様から愛されるために生まれて、そして今ここにいる。
ならば、心に痛みを覚え、今は確かにむちゃくちゃで見るに耐えない状態だけど、でも「そんな君も神様から愛されるために生まれたんだよ」って言えそうな気がするのだ。