復讐の方法 | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」

(ローマ人への手紙12章19節 20節)





聖書の神様は実際的な方である。


だから私達に復讐心を抱くなとは言いませんでした。


というか相手に手ひどいことをされて、なおかつ復讐心がまったくないというのは人間の心理的に言って不健康そのものです。


しかし、復讐心は私達自身の精神を蝕んでしまうのですね。


だから、一旦神様におゆだねするのです。


そして私達は何事もなかったように淡々と生きる。(ただ、相手を許す努力は私の経験上やったほうがいいように思いますね。例えば相手に本音を言えず、憎しみがたまりきった状況が生じた場合はその思いを相手にぶつけたほうがいいと思います。というのはそっちのほうがその相手を許せるからです)


そうすれば、神様がある日突然私達に代わって復讐をしてくださる。


しかもだいたい、もうその人のことを許せる段階にはいり、あまりその相手のことを気にもとめなくなったときにある日突然その相手に裁きがくだるのですね。


「えっ、もういいのに」(勿論、到底消えがたい心の傷を相手から受けた方はそうすんなりとはいかないでしょうが。)


だから、その相手に裁きが下った時、私達の心はそんなにうれしくもないのですね。(相手に対する憎しみが残っていたとしても、(まあ、だいたい残ってますけどね。あたりまえですが・・・)しかし、絶頂期のように、ざまあみやがれ!そんな気分になれないのは確かなのですね。)


だから単に憎しみでいっぱいの時はその相手に裁きがくだらないというのも神様の裁きの特徴のような気がします。