「イエスがそこを出て行かれると、律法学者、パリサイ人たちのイエスに対する激しい敵対と、いろいろのことについてのしつこい質問攻めとが始まった。
彼らは、イエスの口から出ることに、言いがかりをつけようと、ひそかに計った。」
(ルカによる福音書11章53節、54節)
この律法学者とパリサイ人たちというのはその当時の宗教的な指導者達であり、また、彼らはイエス様に最も敵対した人たちでした。
ではどうしてそんなに彼らがイエス様に敵対したかというと彼らがイエス様の存在に嫉妬したからだと思います。
彼(イエス様)のなさっていることはどう見ても正しい。しかし本来人々から尊敬されなくてはならない自分達の存在がこの貧相なナザレの一大工に脅かされようとしている。
それがどうしても許せなかったのだと思う。
彼らは正しい人を何とか「悪党」に仕立てあげようとしたのですね。
必死だったでしょうね。
でも、こじつけてもこじつけてもその「悪」はどう考えたってまさに「こじつけ」だ。
自分で自分が情けなくなったでしょうし、また、みじめにも思えたでしょう。
平静を装っていたかもしれませんが、その心の中は「ああ、なんて俺達は虚しいことばかりやっているのだ」と自分を責めてばかりいたでしょう。
心に平安はまるでなし。嫉妬心のみ。
ああ、なんと哀れであろうか。
しかし、彼らは昔の私にそっくりなのでよくわかるのです。