この間の東京新聞の本音のコラムにおいて斉藤学さんが少し前に起きた大阪の二児置き去り事件について触れておられた。
そして「極論だが」と前置きして「私は産んだものが育てなければならない」とは考えてはいない、と書いておられた。
すごい発言である。
やけくそである。
しかし、わかる。
何となくわかる。
そしてそこには弱者に対する優しいまなざしを感ずる。
さて、私は子育てをしたことがないからよくわからないのであるが、子育てというのは想像しただけでも大変そうである。
勿論産んだ以上は育てるのが一人前の大人というものであろう。
しかしそれができる人もいればできない人もいるのではなかろうか?
そして「私にはできません」と素直に認めることもその親から育てられるその子供に対する一つの愛情のような気がする。
いや、それどころかそうやって素直に認めさえすればその子供に対して立派に責任を果しているとすら私には思える。
勿論、できる限りのことは精一杯しなくてはいけないとは思う。
それからだけは逃げてはいけないと思う。
でも、精一杯やったのなら、それでいいのではなかろうか。
そこまでやったのなら今度は誰か助けてくれる人を必死になって捜すことが先決だと思う。
「捜しなさい。そうすれば見つかります。」
(マタイ7章7節)
私はこの二人の可哀想な子供達はユダヤ的にも人間的にも律法を知らないのであるから、天国に入ったことを信じます。
しかし、こんな無残なことが二度と繰り返されてはならないと思う。
私はこの報道をみながら、自分の無責任さを棚にあげて「だったら産むなよ」何度もつぶやいてました。