「パロは言った。『お前達はなまけ者だ。なまけ者なのだ。だから、私たちの主にいけにえをささげに行かせてください。と言っているのだ。
さあ、すぐに行って働け』」
(出エジプト記5章17節、18節)
この世の霊は今も昔も変らないようである。「お前らは暇人だから、神様、神様と言っているんだよ」と言うわけなのである。
「逃げるんじゃねぇ。働けよ」と言うわけなのだ。
確かに当たっているところはあるような気もする。
こんな言葉を聞くと40にもなっていまだに非常勤の私も辛くなる。
しかし、これがまったくの真実とは到底思えないのである。
この世の霊はそうやって、もっともらしいことを言いながら、私たちを実は単なる経済の歯車にしていくのである。
働くことは勿論尊いことだ。
しかし、経済の歯車になることだけが労働ではないのである。
第一、労働と言うのは神様に結びついて初めて私たちにとって有益なものになるのであって、「神なき労働」は人を空虚に陥れるのである。