人はそれぞれの性格や気質を持っている。
だから、癒しの道もそれぞれの道があるように思う。
たとえば、私は弱虫だった。
幼稚園時代などは、幼稚園に行って、あの人ごみにいるだけで泣き出したものであった。
やんちゃな友人達の気持ちが私にはよくわからなかった。
なぜかよくわからないが、人が怖かったのである。
しかし、ある友人の影響で、私は自分の中の「負けん気」が眠っていることに気づき始めたのである。
「あいつらなんてたいした連中じゃねえさ」
それが彼のスタンスであった。
私は彼に憧れて、そのスタンスを真似するようになったのであるが、しかし、このスタンスを真似することによってずいぶん私の心は楽になったのである。
実際自分が「あいつらはすごい、あいつらは自分より上だ」と思っていた連中もそんなにたいした連中ではなかったのである。
勿論、かといって彼らが私より下と言うわけではない。
人間は神様の御前には皆平等と言うことなのである。
さて、私みたいな自分の中に眠っていた「負けん気」に気づいて癒しを経験する人間がいる一方、今度は自分の中の「弱さ」に気づいて癒される方々もおられるように思う。
そういう方々は負けん気だけはまさに誰にも負けないのである。
体も頑健である。
負けてはならない、負けてはならない、なのである。
他人に負けるのは一生一代の恥なのである。
だから、頑張るのである。
しかし、人間には限度ある。
そんなに頑張ったら誰もがいつかは心も体もぼろぼろになってしまう。
そしていずれ、自分中に眠っている「自分は弱くていいのだ。自分は本当はもっと甘えたかったのだ」、そんな感情に出会い、そして人によっては、その感情を素直に自分の中に受け入れ、癒されていくようである。
それにしても、最近は私も含め、本来強いはずの男性が自分の中の強さに出会って癒され、本来弱いはずの女性が自分の中の弱さに出会って癒されるという、あべこべな現象が多くなってきているように思う。
そして、この現象はもっと増えていくだろうと思われます。
まあ、別にそれでもいいでしょうがね。