回復人は人によって傷つくが、また、人によって癒されるようだ。 キリスト教もそのおきてのほとんどが「人間関係」というのは不思議なことだ。 そう考えると、「魅力」とはなんだろうと思う。 多分、自分のためでなく「人」のために生きているひとが魅力的なのだろう。 誰も「完璧」にそんな人間にはなれない。しかし、そんな人間に「なりたい」と思うだけでも、私たちの精神は回復に向かうのかもしれない。