言葉は神であった | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

イエス・キリストは私たち人間が、血を欲する生き物だということを知っていた。と思います。


それもあってイエス・キリストは十字架にかかったに違いありません。


旧約聖書は完全に本当だと私達は信じます。

だとすると、私たちには間違いなく「殺人者の血」が流れているということになるのです。


恐ろしいことです。


殺人者が死刑になるのは当然火もしれません。


しかしただ単に殺人者を責めるひとたちがいるならば、そういう人達は、その人達自身が自分自身の本性についてよく知らないのだ。と私は思います。


私たち自身が殺人を犯さないのはたまたまかもしれないのです。


神様はその殺意を肯定も否定もしない。


ただ人間のありのままを私たちに突きつける。


そして神様はその殺意を十字架の上に磔にせよといわれる。


そしてそれを、メタノイア、すなわち「悔い改め」というのである。


どんな人間もが「悔い改め」を必要とするのだと思います。