◢◤私~そして「みづほの道」25◢◤ | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

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吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
Cosmic Sound & Word

◢◤私~そして「みづほの道」25◢◤
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私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
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私が高校生の頃に習った四人の歌の先生を挙げてみよう。
一人目はテノール歌手の伊津野修先生。
当時、伊津野先生はNHKの「歌のメリーゴーランド」という番組にレギュラー出演をされていた。
江利チエミやフォー・リーブス等のボイストレーニングもされていた。
先生には声楽の基礎であるコールユーブンゲンやコンコーネをはじめ、ジャズのスタンダードナンバーやシャンソン・カンツォーネ等を習った。
伊津野先生にピアノの弾き語りを勧められなければその後の音楽人生は変わっていたであろう。
「S君、これからの時代は歌だけで食っていくのは大変だ。君はピアノが弾けるからピアノの弾き語りをやりなさい。」
このアドバイスのおかげで今の私がある。
二人目は栗林義信先生。
二期会の会長を務められ、現在は七名の名誉会員のうちの一人である。
日本の声楽界の重鎮である。
当時は「黒猫のタンゴ」で有名になった「皆川おさむ」も習いに来ていた。
レッスンの時に歌ってくださる先生の声を聴き、あまりにも美声であるので圧倒された。
皆さんは信じられないであろうが、こんな有名ですごい先生が私にスタンダードやポップミュージックを教えてくれていたのだ。
クラッシックの世界に生きている人たちなのに、今思うと信じられない(笑)!
三人目は「おもちゃのチャチャチャ」の作曲で有名な越部信義先生。
先生のピアノの上には、いつも作曲や編曲をされた手書きの楽譜が置いてあった。
曲作りの合間に私がお邪魔していたのだと思う。
ある時、先生はこんなことを私に言ってくださった。
「これからは歌手が自分で曲を作る時代になる。君もそうしなさい。」
この言葉が私に突き刺さった。
今でも私の励みになっている。
死ぬまでに大ヒットを飛ばしてやろうか(笑)。
四人目は歌謡界の大作曲家、浜口庫之助先生だ。
当時はデビュー前の「ビリー・バンバン」や「にしきのあきら」、そしてパーカッション奏者の「斉藤 ノヴ」らがいた。
浜口先生は渋谷区の猿楽町に住んでおられた。
米進駐軍の払い下げの広い大きな家に、住まいと事務所とレッスン場が備えられていた。
そこには芝生の庭に「白いブランコ」があった。
ビリー・バンバンの曲はそれがもとで生み出されている。
菅原兄弟の兄が発売前のドーナツ盤を見せてくれた。
「いいでしょう! アレンジは古谷 充さんだよ。」
古谷 充さんは大阪中心に活躍されているジャズの大御所で、歌とアルトサックスの奏者だ。
私の音楽の基礎をつくったのが高校生のときであったことは間違いない!