◢◤私~そして「みづほの道」22◢◤
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私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
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私は中学の時に、三年間、新聞部に所属していた。
学校新聞を発行する係である。
部員は私一人しかいないので、顧問の先生にお世話になりながら苦労して毎月新聞を出した。
私の文筆能力はそのときに培われてそのまま現在にある(笑)。
先生も大変だったろう。
何日も夜遅くまで編集の作業に取り組んだ。
ありがたいことに、先生は肉屋でコロッケを買ってきてくれて私にふるまってくれた。
その味は今でも忘れられない。
新聞と言っても当時はガリ版印刷であった。
ガリ版を印刷する業者に発注するので、その美しさは申し分ない。
活版印刷よりも味があって芸術性に富んでいた。
新聞部での想い出深いことが二つある。
一つは、新聞が出来るまでのドキュメントを朝日新聞社に申し出たところ、取材のOKが出たということだ。
顧問の先生が社会科担当ということもあり、授業での発表を兼ねてやってくれないかということになった。
部活と授業の一石二鳥(笑)!
案の定、朝日新聞の対応はすこぶる良かった。
中学生が新聞社を取材するということが珍しかったことも幸いしていた。
普通人が入り込めないようなところにも案内してもらったり、トップクラスの記者たちとも面談できた。
彼らのほうが驚いて緊張していたかもしれない。
普段は取材する立場の人が、取材される側に立ったのだから想像がつくであろう(笑)。
本当に楽しかった!
もう一つは、東京都から選出されて、読売巨人軍の取材が出来る運びとなった。
あこがれの川上監督や長島・王・広岡・柴田等、当時の一流スター選手と会えたことが嬉しかった。
それも目の前にして、しかも一人ひとりにインタビューすることが出来た。
感激であった!
ガリ版印刷とともに、大きな字で書いた壁新聞をつくり一番目立つところに貼り出した。
生徒たちの羨望の的になったことは言うまでもない。
私は美術部や地理歴史部にも所属していた。
絵のセンスは中学生のまんま(笑)。
地歴部では縄文式土器を作ったり、合宿で大島にも行ったりした。
夜、竹芝桟橋から船に乗り、朝、波浮の港に着いた。
仲間たちの多くが船酔いで苦しんだ。
でも楽しかったなあ。
宿泊先は学校の校舎だった。
先生も生徒も生き生きとして一緒に食事を作った。
そんな時代はもうやって来ないのが寂しい。
一番いい時代を過ごしたのだろう。
忘れられないのが放送部。
昼休みの放送担当だ。
生徒たちの得意な歌や音楽を録音する企画があり、応募者が少ないので私の歌を録音して昼休みに流した。
曲は「何処へ」というテレビドラマの主題歌で、ブルー・コメッツが歌ったものであった。
これがすこぶる評判が良く、顧問の先生から誉められた。
先生は音楽の教師であった。
「君は歌の才能があるから音楽の道を行くといいよ!」
この言葉がずっと頭から離れなかった。
この先生の一言が私の人生を決定したと言える。
人生とはいつどこで何が起こるか分からない。
音楽の道を目指すこととなった先生の言葉に深く感謝する。
先生はコーラス隊に私を招いてくださりレコード盤を制作してくれた。
それは今でも記念として残っている。
人数が少なく、声が良く出るのは私だけであったようだ。
だから私の声しか聞こえない(笑)。
先生、ありがとう!
※忘備録として
新聞部顧問・・・唐沢先生、三上先生
地理歴史部顧問・・・唐沢先生
放送部顧問・・・岡崎先生
他の先生の名前は忘却の彼方。。。