この国のシステムは間もなく破綻・終了する可能性が出てきたので、ずる賢い者たちは次ぎの手を打っている。私はノンキで、全てを神さまに任せているので何も手を打っていない。経済破綻も放射能も災害に対しても弱者は手の施しようが無いからだ。現実的に何も持っていない人間は何も出来ないから無為…
底辺の弱者は何も出来ないから無為であるのではなく、ただただ無為なのだ。何も出来ないというのは「出来ないという有為」がある。無為というのは、出来ても無為なのだ。行為を超えたところにその本質がある。マコトの者たちの行為は社会的権威に染まらずしてコトが運ぶようにあるべし。無の采配なり!
ただただその人の縁が行為を決定付ける。それしか選択の余地が無い状態は無為であることと同じである。中途半端な強者や弱者は、学や知恵やお金や欲でその選択を決断する。おまけにその決断を迫るのは組織や霊能者等であってその本人ではない。状況が変わったようにみえても、しばらくすると最初から…
無為でない行為はどんなにカネ儲けしても社会的権威を身に付けても、宇宙の理に適っていないコトは、また振り出しに戻る。しかし本人は気が付いていないし気付こうともしない。恐怖で逃げても、怠惰で逃げなくても、結局は同じである。どんなに悪人であっても死ぬまでに改心出来た者のほうが幸いだ。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というを如何なるものと思うてや。此の世の善人ほど困った者たちはいない。親鸞も日蓮もみな悪人であったではないか。それが現代ではどうか。吾は警告するが、言われたからとて気を悪くしてくれるな。吾はこれより先は言わぬ。あなたが善人は困った者だ!
よいか、キリストとてその時代は悪人とされたではないか。死刑・磔をいかなるものと思うてや。民衆は「バラバを許せ!」と云ったでないか。ピラトは如何にしたなり。此の世の善人らよ、そなたらがピラトであり民衆だぞ。今も昔も変わらぬ。キリストを磔にした者が善人として生きておるのが今の世だ!
善人よ、あなたがたが悪より良いとした価値観は此の世的なるものぞ。されど悪は悪なり。此の世で定めた法律の以前より自然法があり、さらには根底の宇宙律法があるではないか。善人の法は此の世の定めた法でないか。悪人よ善人よ、等しく宇宙御親の律法に生きてみよ。これが新しき天地に活きるという事なるぞ!