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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
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所要時間=9~11分程 です。
ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。
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エステル・ロバーツの自著 『 Fifty Years a Medium 』 を翻訳サイトDeepLにて翻訳後、私にて全文確認しながら必要に応じて修正・加筆して記事化しました。
原著となる自叙伝は1959年に 『 Forty Years a Medium 』というタイトルで出版されています。
1969年、その後の10年間の人生についての章を加え、 『 Fifty Years a Medium 』 として最新のものとなっています。
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Mistress of the Medium
霊媒の女王。
彼女の名前はエステル・ロバーツ (Estelle Roberts)。
彼女の不思議な霊能力は、子供の頃に初めて現れたが、その能力を伸ばすように勧められたのは、30歳で未亡人になってからだった。
それ以来、彼女の人生はスピリチュアリズムに捧げられてきた。
エステル・ロバーツは、存命中の最高の霊媒師として世界的に有名になった……生命そのものを超えた不思議な力を持つ女性である。
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Fifty Years a Medium
(Estelle Roberts )
CHAPTER THIRTEEN
WAR
第13章
戦争
その1
《 》 内 は私が追記しています。
原著の体裁を変更しています。
(上記の続きです)
*
1938年10月、レッド・クラウドが珍しく予言をしたのですが、それは外れました。
彼は戦争は起きないと言ったのです。
私は、レッド・クラウドがどうしてこのような間違いをしたのかと何度も聞かれましたが、私にとっては納得のいく答えを出すのに苦労したことがありません。
実際、その答えはレッド・クラウド自身の教え《Red Cloud's own teaching 》の中にあるのです。
彼は常に、運命《destiny 》などというものは存在しない、現世では何一つ事前に定められていない、と教えてきました。
したがって、その成就を人間の行為に依存する予言は、確実性《certainty、必然性》よりもむしろ可能性《probability、見込み、確率》の表現でなければならないことになるのです。
一日一日、人間の手によって出来事が形づくられ、また形づくられていく世界において、そうでないことはありえないのです。
人間は意志と行動の完全な自由を持っています。
《↑Man has complete freedom of will and action. 》
この自由をどのように使うかによって、その人の人生、その人が住む共同体、ひいては国家の行く末が決まるのです。
人間であろうとスピリットであろうと、ある日に、あることが実現すると確実に言うことはできません。
なぜなら、未来は人間次第であり、人間の自由意志の行使は常に未知の要素だからです。
100回中99回は、与えられた状況に対して、いつも同じように反応するのです。
しかし、100回目には、何らかの理由で、あるいは何の理由もなく、そこから外れてしまうのです。
レッド・クラウドは、この原則《principles 》を教えているからこそ、将来の出来事を予測することはほとんどありません。
このことを説明するために、彼はかつて、足元に風景のように広がる多様な可能性を持つ未来を見つめることができると言いました。
彼はその様子を、「丘の上に座って谷を見下ろすような感じ」と表現しました。
谷の底を曲がりくねって、ある村に続く道があります。
道沿いには、道行く人には見えないけれど、レッド・クラウドの全知全能の見晴らしの良い高台からは見える、いくつもの曲がり角があります。
下を見ると、道行く人が道をしっかり歩けば、やがて村に着くことがレッド・クラウドには分かっています。
しかし、もし、彼が脇道で立ち止まり、気晴らしに誘われて本道から外れると、全く別の目的地に着いてしまいます。
脇道にそれるかどうかは、その人自身が決めることなのです。
目に見えない力が彼に作用して、あらかじめ決められたパターンに従うように強制することはありません。
怠惰、貪欲、権力欲など、さまざまな誘惑が、その人の進むべき方向を決めるかもしれません。
その決断は本人次第であり、本人でさえも、どの方向に進むかを前もって言うことはできないのです。
したがって、予言者は、事実を知り、それらを慎重に吟味した上で、可能性《probabilities 》に基づいてのみ予測を行うことができるのです。
1938年10月にレッド・クラウドが言ったのは、この点についてでした。
彼には、人類が向かっている方向を見ることができました。
誘惑も危険も見えていました。
しかし、彼は、人間は戦争を回避する道を歩むと信じていたのです。
《↑Yet he believed man would keep to the path that would steer clear of war. 》
方向性を選択するのは人間であり、人間は不幸《ill、苦難、災難・・・》を選んだのです。
11ヵ月後、ヨーロッパは人間が作り出した混乱に陥り、それはすぐに全世界を包み込むことになりました。
宣戦布告された後、レッド・クラウドはこう言いました。
あなた方一人ひとりが、それぞれの肩にかかる責任を受け入れていれば、戦争は起こらなかったでしょう。
戦争が起こったのは、人間が恐怖の淵から、自分の中にある神性を認めるまで思考を高めることができなかったからです。
私が戦争はないと言ったのは、戦争はあってはならないからであり、
そうでないと予言すること《=戦争が起こると言うこと》は、人間の心をそこから戻ることができない奈落の底に突き落とすことになるからです。
心が物質を形成するのであって、物質が心を形成するのではありません。
人間は自分の救いは自分一人でやり遂げなければならないのです。
私ができるのは、ただ、道を示し、あなた方の心の扉に常に気を配るようにとお勧めすることだけです。
*
戦争が本格化しても、私の霊能者としてのキャリアは衰えることはありませんでした。
1941年、私はチャールズ・ティルソン・チャウニーと結婚しました。
その直後、自宅が爆撃され、私たちはオックスフォードに移り住み、そこで私は多くのパブリック・ミーティングを開き、多くのプライベート・シッティングを行いました。
私たちは12ヵ月後にロンドンに戻りました。
戦傷者リストが大きくなり、残された人々とコミュニケーションを取りたいと願う戦争犠牲者《=戦争で亡くなった霊たち》が増えるにつれ、私の仕事はますます増えてゆきました。
その中には、戦死した4人の若者も含まれていました。
彼らは、英国海軍のデビッド・ホワイトとアーサー・ヒース、
そして英国空軍のビル・カステロとクライブ・ウィルソンです。
この4人の若者たちは、自分たちの死後生存《survival 》を証明した後、《同様に戦死した》他の人たちが同じような成功を収める《=死後生存を証明する》のを助けようと決意しました。
その献身的な姿に、私たちはダイレクト・ボイスによるプライベート・サークルを立ち上げたのです。
このサークルは、4人の軍人の両親と、身元を証明することができた他の霊のコミュニケーターの《地上にいる》友人や親族で構成されていました。
このシッティングは、参加者全員が無料で参加できるものでした。
このサークルの最も著名な訪問者の一人は、バトル・オブ・ブリテンの戦闘機司令部のトップであったロード・ダウディング空軍大将でした。
彼は1943年10月、4人の霊の発起人からの強い要請で、初めてサークルに参加しました。
交霊会は、トランペットが床にモールス信号で "V" サインを鳴らすことから始まりました。
その時、「レディー・ファーストよ、」と陽気に主張する少女の声が聞こえ、トランペットの奪い合いが起こったようでした。
《↑そこにいる霊たちみんなが話をしたがっている》
彼女は、クライブ・ウィルソンが彼の両親と楽しそうに話す声が聞こえてくるまでの、わずか数センテンスしか話すことができませんでした。
短いやりとりの後、クライブからの頼みがありました。
「どうか僕にチーフ《Chief、ダウディング空軍大将》を引き合わせて下さい」
その紹介に感情を掻き立てられてクライブはこう言いました。
「そのとき僕は偵察に行っていたんです。
苦境の中で墜落してしまい、後で体が岸に流れ着いたんです。
でも、ご覧の通り、僕はまだ元気ですよ」
「R.A.F《=イギリス空軍》で君は変なあだ名で呼ばれていたそうだね」とダウディングが彼に言いました。
「何と呼ばれていたんだね?」
「ビッグ・フィート《Big Feet、大きな足》です」と、迷いのない返事が返ってきました。
「そのあだ名について調べてみてください。
あの、ダウディング卿、
若者たちと僕は、あなたが霊のメッセージを最も効果のあるところに伝えてくれたことに感謝したいのです」《※1》
「お役に立てて素晴らしいです」とダウディングは答えました。
※1 ブログ管理者注記
バトル・オブ・ブリテンを指揮し、勝利したダウディング空軍大将は、退役後、作家として、また講演者として、スピリチュアリズムに積極的に関わるようになった。
『Many Mansions』(1943)を初めとして、サバイバル、スピリチュアリズムの真実性に関しての出版、講演を行った。
(注記以上)
この時、トランペットの音から、他の人たちが所有権を主張するようなユーモラスな抗議が聞こえてきました。
《↑皆んなが話をしたがっている》
勝利したのは、デービッド・ホワイトでした。
彼は22歳の時、潜水艦オリンパス号がマルタ島沖で遭難してこの世の生を終えていました。
彼はまず母に語りかけ、家族への愛のメッセージを伝えました。
「お父さんは僕と一緒だよ」と彼は母親に断言しました。
父親は息子《=デービッド》の数カ月後に亡くなっていたのです。
「ああ、話せてよかった!」
デービッドは少年のようにはしゃぎながら言いました。
「みんな、僕の声が聞こえるかい?」と彼は求めました。
「Yes,」という声がシッターたちから上がりました。
「すごいぞ!
今夜はダウディング卿もいらっしゃているそうだし、他にもハンネン・スワッファーという方もいらっしゃてるんだって。
スワッファーさん、あなたのお友達にお会いしましたよ。
まだ《亡くなって》日の浅いジャーナリストです」
「A・B・オースチン」とレッド・クラウドが口を挟みました。
「彼はイタリアで殺されたのです」
「彼も友人でした」とダウディングが言いました。
「彼は私のスタッフの戦場記者で、とても優秀な将校 "でした"」
「《今でも》彼はとても立派な将校です」とレッド・クラウドは優しく彼を訂正しました。
「ちょっと待って下さい!ここに他の人がいます」
「ジェンキンスです、そこにいますか、お父さん?」という声がしました。
「ああ、私はここにいるよ」
「僕のことで悩むのはやめて、そして《ジェンキンスの死について》詳細について航空省を悩ませるのはやめてよね。
彼らは知っていることをすべて話したんだよ。
僕たちの古いボロ飛行機が空中で粉々になったのは誰のせいでもないんだ。
飛行可能なすべての飛行機を使わなければならないとき、誰かがその破片を集めて回らなければならないときが必ずあるんだよ」
「破片の1つは家にあるよ」
「ああ、知ってるよ。尻尾がちょっと切れている。
ねえ、パパ、ママに僕が死んでないってわかってもらえるように頑張って。
ここには何千人もの僕のような人がいて、僕たちはみんな、どこかのお母さんの息子なんだ、とそう言って。
お母さんが悲しまない限り、僕は大丈夫だから」
(13-2 へ続きます)
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ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました
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