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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
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以下は全て【ハンネン・スワッファー・ホームサークル(英国 1930~1981)】の交霊会における霊団の支配霊シルバーバーチの霊言です。
シルバー・バーチの霊訓 (九)四章 「不変・不滅・不可避の摂理」 より抜粋・編集しました。
《 》 内の記述は私が追記しました。原著の体裁を編集しています。
「絶対不変の摂理 (2)」からの続きです。
(始)
万が一にも大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこのたびの使命をすべて放棄します。
もしどこかに摂理のとおりに行っていないところが見つかったら教えてください。
しかし、そういうことは絶対にありません。
原因にはかならず結果が伴います。
蒔いたタネの実りを刈るのです。
それ以外には有りようがないのです。
みなさんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは、大自然の法則 のことです。
神は、この宇宙を不変の法則によって支配し、顕現していくように定めました。
宇宙のあらゆる側面が、法則によって治められているのです。
みなさんが親しんでいる物的地上界であろうと、
人間に感知できないそれよりはるかに大きな霊界であろうと、
法則が行き届かないというところはどこにもありません。
この法則を通して神の意志が働いているのです。
人間の法律には、変更と修正がつきものです。
不完全であり、あらゆる情況を考慮に入れていないからです。
が、神の法則は、起こりうるあらゆる事態に備えてあります。
すべてが規制され、すべてが管理され、神の配剤がすべてに行きわたっております。
人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。
あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。
あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。
補給源とのつながりを断たれることになります。
《↑ストレスを溜め込んだり、鬱が酷くなるとこうなる》
そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。
心配の念は、あなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。
その障害を取り除くまでは、生命力は流れ込みません。
泰然自若の境地に至るには、長く厳しい修行、過酷な試練、そして、心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。
完璧に出来あがっており、必ずその通りに作用します。
心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。
神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。
あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。
そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。
私には自然法則を変える力はありません。
因果律という不変の法則に、私が干渉することは許されません。
たとえば、あなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしかできません。
身体は一種の機械です。
したがって、それなりの手入れがいります。
手入れを怠れば、故障するにきまっています。
すると、休息と修理によって機能を回復させるほかはありません。
法則はごまかせないのです。
あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。
その身体のすることにも限界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。
それはあなたの責任です。
あなたの身体だからです。
いくら愛があるとはいえ、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念の責任を、私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません。
行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が責任を取るのです。
身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行において支障がないように十分な手入れをしておく必要があります。
人体は地上のいかなる機械よりもはるかに入り組んだ、すばらしい組織体です。
まさしく驚異というにふさわしい道具です。
が、それにも手入れがいります。
自然の摂理と調和した生き方をしていれば、病気も異状も不快感もありません。
こうしたものは不調和から生じるのです。
摂理に反することをすれば、その代償を払うことになります。
摂理の範囲内で生活していれば恩恵を受けます。
何よりも動機が優先されます。
が、摂理に違反したことをすれば、それに対してペナルティが科せられます。
自分の気持ちを満足させようとして、身体を傷(いた)めるところまで行ってしまうか否かは、一人ひとりがその霊的進化の程度にしたがって判断することです。
地上生活にも神の計画の中でのそれなりの役割があります。
無理を重ねて次の段階の生活《=霊の世界での生活》への準備が十分に整わないうちに地上を去るようなことになってはいけません。
たとえばここに、人類の福祉に献身している高潔な人物がいるとしましょう。
その人がもしも、その道での超人的活動で健康を損ねた場合、それは立派と言えるでしょうか。
それも本人自身が判断すべきことです。
ただ残念なことに、そうした決断を下すに当たって、必ずしも自分自身に真っ正直になり切っていないということです。
どこかに自惚れの要素・・・オレ以外に出来るヤツはいないのだ、という考えが潜んでいるものです。
法則にも、次元の違いによっていろいろあります。
物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的次元のもの、さらにはそれらが入り組んで作用する場合もあります。
悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解できません。
それは実在《=霊、霊的なこと》を無視した生活に終始しているからです。
物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。
しかし、魂はいつかは真の自我に目覚めなくてはなりません。
その時から内在する神性が発現しはじめるのです。
それも神が定めた埋め合わせの法則の一環なのです。
苦難が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。
神は宇宙の会計士のようなものです。
生命の帳簿は常に帳尻が合っており、すべてがきちんと清算されております。
霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものは、あなた《の霊性》に相応しい分だけであり、多すぎることもなければ、少なすぎることもありません。
その計算は、あなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準 《※1》にして行われます。
霊的なことは、常に完全な清算が行き届いており、ごまかしも見せかけも通用しません。
法則は、無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。
各自が受け取るのは、それまでの努力にふさわしい分だけです。
私がそのように定めたのではありません。
そのようになっていることを私が知ったというだけです。
それを因果律といいます。
原因と結果の間には、いかなる者も干渉できません。
偶発事故とか不測の事態というものは起きません。
すべては自然の摂理でそうなっているのです。
その摂理が廃止されたり、一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。
自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することもできません。
その摂理と調和して生きることです。
すると良い結果が得られます。
摂理にひっかからないように上手にすり抜ける方法はありません。
その作用は絶対です。
宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません。
《※1》
霊感をはじめとする霊的能力の有無は全く関係ありません。
親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛・・・これらをどれだけ日常生活の中で、実際に表現・発現させてきたのかが基準になるという意味です。
逆にシルバーバーチは、神から許されて霊的能力を携えて誕生してきたにも関わらず、それを発達させることなく、人のために役立てることに使用しなかった責任放棄の罪の重大さについても常々口酸っぱく説いています。
(終)
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