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霊や生命について書かれています。


ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。


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以下は全て【ハンネン・スワッファー・ホームサークル(英国 1930~1981)】の交霊会における霊団の支配霊シルバーバーチの霊言です。


 シルバー・バーチの霊訓 (四)一章 「絶対不変の摂理」 より抜粋・編集。


《 》内の記述は私が追記しました。原著の体裁を編集しています。

 

 

 

 

 

 

「絶対不変の摂理 (1)」からの続きです。

 


(始)

 

 

タネ蒔きと収穫の摂理は、大自然の法則の中でも、もっともっと多くの人に理解していただきたいと思っているものです。


大地が"実り"を産み出していく自然の営みの中に、神の摂理がいかに不変絶対であるかの教訓を読み取るべきです。


大地に親しみ、大自然の摂理の働きを身近に見ておられる方なら、大自然の仕組みの素晴らしさに感心し、秩序整然たる因果関係の営みの中に、そのすべてを計画した、宇宙の大精神すなわち神の御心をいくばくかでも悟られるはずです。


蒔いたタネが実りをもたらすのです。


タネは正直です。
トマトのタネを蒔いてレタスができることはありません。


蒔かれた原因(タネ)は、大自然の摂理に正直に従って、それなりの結果(みのり)をもたらします。
自然界について言えることは、人間界についてもそのまま当てはまります。


利己主義のタネを蒔いた人は、利己主義の結果を刈り取らねばなりません。


罪を犯した人は、その罪の結果を刈り取らねばなりません。


寛容性のない人、頑(かたくな)な人、利己的な人は、不寛容と頑固と利己主義の結果を刈り取らねばなりません。


この摂理は変えられません。

 

永遠に不変です。


いかなる宗教的儀式、いかなる賛美歌、いかなる祈り、いかなる聖典を持ってしても、その因果律に干渉し、都合のよいように変えることはできません。


発生した原因は、数学的・機械的正確さを持って結果を生み出します。《※1》


聖職者であろうと、平凡人であろうと、その大自然の摂理に干渉することはできません。


霊的成長を望む者は、霊的成長を促すような生活をするほかはありません。


その霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして、仕事を立派に仕上げることを通して得られます。


言いかえれば、内部の神性が、日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。


邪(よこしま)な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪(ゆが)んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。


いかなる摂理も、全宇宙を包含する根源的な摂理の一面を構成しています。


その一つひとつが、神の計画に沿って調和して働いています。


この事実を推し進めて考えれば、世界中の男女が、自分の行為に対して自分の日常生活で責任を果たすべきであり、それを誰かに転嫁できるかのように教える誤った神学を一刻も早く棄て去るべきであることになります。

 


人間は自分の魂の庭師のようなものです。


魂が叡知と崇高さと美しさを増していく上で必要なものは神がぜんぶ用意してくださっております。


材料は《自分自身の中と自身の目の前にすべて》揃っているのです。


あとは各自がそれをいかに有効に使用するかに掛かっております。


人間的な感情を具えた神は、人間が勝手に想像したもの以外には存在しません。


悪魔も人間が勝手に想像したもの以外には存在しません。
黄金色に輝く天国も、火焔もうもうたる地獄も存在しません。


それもこれも視野の狭い人間による想像の産物です。


神とは法則です。
それを悟ることが人生最大の秘密を解くカギです。


なぜなら、世の中が不変不滅、無限絶対の法則によって支配されていることを知れば、すべてが公正に裁かれ、誰一人としてこの宇宙から忘れ去られることがないことを悟ることができるからです。


神が全てを知り尽くしているのも法則があればこそです。


法則だからこそ、何一つ見落とされることがないのです。


法則だからこそ、人生のあらゆる側面が、この大宇宙にその存在場所を得ているのです。


人生のありとあらゆる側面が・・・いかに些細なことでも、いかに大きな問題でも・・・決して見逃されることがありません。《※1》


すべてが法則によって経綸されているからです。
法則なくしては何ものも存在し得ません。


法則は絶対です。


人間の自由意志が混乱を惹き起こし、その法則の働きを見きわめにくくすることはあっても、法則そのものは厳然と存在し機能しております。

 

 

(続く)

 

 

《※1》


以前の記事でもシルバー・バーチ霊が触れている通り、因果律はこの地上世界で生きている間に必ず成就されるというものではありません。


善果も悪果も、蒔いた種の実りは、もっとも相応しい時機に、もっとも相応しいカタチで、成就されます。


地上世界でのさばっている悪や邪が、人間が拵えた法律やそれを取り締まるべき人間の目を掻い潜り、無事この世界を卒業出来たように見えても、神の眼をごまかすことは出来ません。


同様に、この社会のどこかの日陰で、人目にまったくつかず、何のスポットライトを浴びることがなかった人々の善行が、地上世界で何一つ報われなかったように見えても、神の眼から取りこぼされることは一切ありません。


その善果は他界後にその魂にとって感じ得られる最高の幸福というカタチでその人にもたらされます。

 


 


ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました