ご訪問くださり、本当にありがとうございます。


霊や生命について書かれています。


ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。


あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 


 

この地上世界で起きる出来事、この全大宇宙で起きる出来事のすべてに、【偶然】というものが付け入る隙(すき)は、一ミリたりともなく、全てが様々な摂理・法則によって支配されています。


自分の蒔いたタネの実りは、自分自身で刈り取る・・・この宇宙の第一法則、原因と結果の法則に干渉できるものは、この宇宙に誰一人として存在し得ません。


ただし、人間の場合、その実りは、必ずしも、この地上生活中に成就されるというものではありません。


昨日の記事「再生・リインカネーション(1)」がその良い例です。


悪因には悪果が、善因には善果という果実が、もっとも相応しい時機にもっとも相応しいカタチで実ります。


その果実の実りを受け取ることが出来るのは、そのタネを蒔いた、あなた自身であり、私自身です。


この地上に限らず、地球圏の霊の世界においても、また、この宇宙の全ての恒星 (※1)、惑星の生活圏、霊の世界においても、因果律を第一法則として、あらゆる自然法則が働いています。


結局、私たちはいつ、どこで生きていようと、私たちの自由意志の結果としての思念・言動・行為に対して働く法則の結果から、いろんな教訓を学び、生長してゆかねばならない存在だということです。


逆に言えば、そうした法則・摂理に "調和しながら生きてゆく" ことで、身に降りかかる苦難・困難を減らし、さらに、霊性を向上させてゆくことが出来てゆくというわけです。


容易いことではありませんが、それも地上に生を享けた大切な目的の一つなのです。

 

※1:信じられないかもしれませんが、この宇宙においては、太陽のような恒星においても、知的生命体が生活を営んでいます。

 


 


以下は全て【ハンネン・スワッファー・ホームサークル(英国 1930~1981)】の交霊会における霊団の支配霊シルバーバーチの霊言です。

 

 

シルバー・バーチの霊訓(四)一章 「絶対不変の摂理」 より抜粋しました。


《  》 内の記述は私が追記しました。

 


 

(始)

 


人間は戦争が起きると【なぜ神は戦争を中止させないのか、なぜ神は戦争が起きないようにしてくれないのか】と言って私たちを批難します。

 

しかし、神の摂理をみずから無視しているかぎり、その責任は人間自身にあります。
自分の行為による結果だけは避けようとする、そういうムシのいい考えは許されません。


神の摂理は私たちも変えることはできません。
蒔いたタネの実りは、自分で刈り取らねばなりません。


高慢、嫉妬、怨恨、貪欲、悪意、不信、猜疑心・・・こうしたものが実れば当然のことながら戦争、衝突、仲違いとなります。


神の摂理を説こうとしている私たちは、こうして地上へ戻ってくる真の目的を理解していない人たちから、先ほど述べたように、よく批難されます。


しかし、私たちの目的は摂理を説くことでしかないのです。
この世には大自然の摂理しか存在しないからです。
それをあなた方が宗教と呼ぼうと、科学と呼ぼうと、あるいは哲学と呼ぼうと、それはどうでもよいことです。


誰であろうと・・・一個人であろうと、大勢であろうと、民族全体であろうと、国民全体であろうと・・・摂理に反したことをすれば、必ずそれなりのツケが回ってきます。


いつも申しておりますように、その摂理の働きは完璧です。
時としてそれが、あなた方人間には見きわめられないことがありますが、因果律は間違いなく働きます。
法則だからです。


このことはこれまで何度も説いてまいりました。
ここでも改めて申しあげます。


宇宙には大自然の法則、神の摂理しか存在しない、と。


ですから、その摂理に順応して生きることが、何よりも大切であることを人類が悟るまでは、地上に混乱と挫折と災害と破滅が絶えないことでしょう。


私たちに出来るのは、永遠の霊的原理をお教えすることだけです。
物的なものがすべて朽ち果て、灰燼(かいじん)に帰した後もなお残るのは、それだけだからです。


物的なものしか目に映じない人間は、幻影を追い求め、永遠を忘れるために大きな過ちを犯すのです。
いたって単純な真理ばかりです。


が、地上人類はいまだにそれを悟れずにいます。


霊界からいかなる手段を講じても、なお悟れないとすれば、苦痛と涙、流血と悲劇を通じて悟るほかはありません。
私としてはこうした形で、つまり、愛と協調の精神の中で悟っていただきたいのです。


ですが、それが叶えられない、つまり、霊的手段ではだめということになれば、摂理に背いた生き方をした、その間違いを思い知らされるほかはありません。


地上で偉人とされている人が必ずしも私たちの世界で偉人であるとは限りません。
私たちにとっての偉人は、魂の偉大さ、霊の偉大さ、人のためを思う気持の大きさです。


こうしたものは、物的世界のケバケバしさが消えたあとも末永く残ります。
自由意志は神からの授かりものです。


ですが、その使い方を誤れば、それなりの償いをしなくてはなりません。


地上世界が神の摂理に適った生き方をすれば、その恩恵がもたらされます。


摂理に背いた生き方をすれば、良からぬ結果がもたらされます。


前者は平和と幸福と豊かさをもたらし、後者は悲劇と戦争と流血と混乱をもたらします。


私たちは今、神の子の指導者であるべき人たち《=ここでは教会、聖職者のこと》から軽蔑されております。
神とその愛の旗印のもとに訪れるのですから、歓迎されてよいはずなのに、彼らは私たちを受け入れようとしません。


地上の人たちに何とかしてあげたいという願望に駆られて、みずからの力でみずからを救うための霊的理法と霊力の存在を明かそうと努力しているのですが・・・。


ですが、霊的盲目による無知の中に浸り切り、祭礼や儀式に取り囲まれ、しかも、今の時代に聖霊による地上への働きかけがあることを認めようとしない聖職者は、いずれその代償を払わされることになります。


私たちは人のためになることをしようとする人なら、いかなる分野の人でも味方として歓迎します。


私たちにとっての敵は、破壊的態度に出る人たちだけです。


私たちは、愛と奉仕の翼に乗って、援助の手を差し伸べられるところならどこへでも参ります。
それが私たちに課せられた大切な使命なのです。


むろんその過程において、数々の困難や障害に遭遇することは承知しております。
それを何とか克服していかねばなりません。


汐は満ちたり引いたりします。
が、確実に勝利に向かっております。


私たちだけでは仕事らしい仕事はできません。
あなたがた地上の同志と手を握り合えば、いくばくかの仕事はできます。


たった一個の魂でも目覚めさせられれば、


たった一人でも暗闇から光明へ導くことができれば、


たった一人でも弱った人に元気を与え、悩める人に慰めを与えることができれば、


それだけで私たちは立派な仕事を成し遂げたことになります。

 

 

(続く)

 

 


ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました