こんばんは。寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ここ数日は乾燥し、寒い日が続いているため、徐々に桜は開きつつも、あまり春を感じないような気がします。
やはり季節は五感で感じるものですかねぇ、
そんな中、今日は友人と大和郡山市にある郡山城に行ってきました。
郡山城では、4月7日まで「お城まつり」が行われています。
僕も友人も仕事だったため、イベントは見られなかったのですが、郡山城跡をゆっくり散策しました。
さて、少し歴史の話になりますが、郡山城の築城は天正8年(1580年)に筒井順慶が筒井から郡山に移ったときに始められました。天正13年(1585年)8月には、豊臣秀吉の弟、秀長が郡山に入城し改修工事をしました。秀長は、城下町繁栄のため、奈良や堺の商人たちを郡山に呼び寄せ、土地の税金を免除をしたり、商売上の特権を与え、箱本制度と言う自治組織を作りました。
郡山城の天守台は本丸の北東部に位置しています。南側には付櫓台が取り付く「複合式天守」の形態をしています。また天守台の標高は81mで眺望がよく、東側に若草山、東大寺、興福寺、薬師寺、平城宮跡等、西側に矢田丘陸、二上山雄岳、葛城山、金剛山などが遠望できます。
天守台へ行く途中には、柳澤神社がありまし。明治13年(1880年)旧藩士によって創建されました。
郡山城の御殿桜は、天正16年(1588年)に、豊臣秀吉が多武峰談山神社を郡山に遷座したときに桜も城内に移したと言われています。その後、柳澤吉里が郡山に入城したとき(1724年)多くの桜を補植し、御殿桜と呼び親しんでいます。
ちなみに金魚は、今から約2000年前に、中国南部地方で野生のフナの中から赤色のものが発見され、 これを原種として、変種の選別淘汰の末、今日の金魚に至っています。
大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里候が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。
長くなってしまいましたね。すみません。
今日は、友人が歴史好きだったため、何かと教えてくれたんです。また以前から郡山城に行きたいと行っていて、僕も行ったことがなかったので、お互いの時間が合ったので、行ってきました。
今度は時間があれば、大和郡山市の城下町をゆっくり散策したいですね。
これから徐々に気温も上がり、「春うらら」という言葉が相応しい季節になることを期待しています。
それでは、おやすみなさい。













