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ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

それらはカルトと言われる宗教団体が問題を起こす度に話題になります。憲法に規定された信教の自由の尊重が言われますが、「マインドコントロールとは何なの。」という論議にもなります。
むしろ、ずるい団体は霊感商法など同様な手法を使い、「うちは違う。」と同じ事を繰り返そうとするのでしょう。
マインドコントロールとは何か、と論議するよりも具体的な手法を明らかにされることが問題のある団体への対策となると思います。
教育も善意のマインドコントロールと言われ、その人にとっての良かれと思われることが教育されますが、宗教団体にとって都合のよい教育が施されることもあります。
そこに信教の自由の侵害がないか。霊などの根拠のないものを持ち出していないか。人の不幸につけ込んでいないか。冷静に考えるのが大事だと思います。

最近の霊感商法騒動で言われる人権侵害は、信じたくない宗教を信じない権利を侵害するもので、親の様な優位な立場の人が身体や精神への暴力を伴った行為の伴うものも明かされています。ネットの投稿などで知ることもありますが、映像で被害者が証言するのはほとんど見たことが無かったと思います。
ここで人目を気にして自分に責任を感じてしまうタイプの人には容赦なく教義を信じさせようとする圧力がかかります。マインドコントロールされた信者に大切な時間を奪われないように人権意識を持つべきです。それは、信じない勇気であり、自分の信じたくないものを強要されても距離を取れる勇気です。
どこも言葉を変えて同じような手口を使うとすれば、一つの手口への疑問は共通する手口への疑問へとなって広まることでしょう。
霊感商法、マルチ商法などの手口を宗教的言葉で表現して騙そうとしても、ネットの情報でほとんどの人には見抜かれてしまいます。しかし、ある時は集団的な、ある時は暴力的な圧力がかけられて教団の為に大切なものを搾取される手法として今も続いています。これからもそうした邪なものを断ち切る勇気が必要とされていくでしょう。

それは宗教と認識させずに信じさせようとする権利の侵害だからのようです。集会では勧誘時に「真澄寺と言え」と言われたり、宗教と伝えずに勧誘時に教団名を隠す勧誘行為を指導したりしているとネットで見たことがあります。
国の機関で霊感商法問題対策の会議が何度か開かれて報告書も出されており、消費者教育の必要性も言われています。それまでがカルト教団のやりたい放題の状況であり、カルト宗教被害者の声はほとんど世間には伝わらなかったと言えます。しかし最近は霊感商法の手口や、宗教だと知らせずに勧誘する手口がメディアでも取り上げられています。
どのカルトも手口を真似て同じような事を繰り返しているとすれば、被害者はただ嫌な想いをしながら特定の宗教を信じないことで責められていたり、聞きたくもない教義を聞かさるなどの被害を受けていたりしたということになります。
皆さんの周りには同じような被害を受けている人はいないでしょうか。信者の迷惑行為に泣き寝入りしている人はいないでしょうか。自らも被害を留めるために情報収集もしましょう。

霊感商法とは、霊感があるかのように振舞って、先祖の因縁や霊の祟り、悪いカルマがあるなどの話を用いて不安を煽り、印鑑・数珠・多宝塔などの商品を法外な値段で売ったり、不当に高額な金銭などを取る商法である。警視庁などでは悪徳商法の一種として定義している。
以上Wikipediaより引用。

霊感商法の様な悪徳商法の手口は悪用しようと思えば様々に応用できるでしょう。

その多くは宗教を隠れ蓑にして人に対して霊的に不幸の原因を示して宗教特有のお力に依存させようとします。


多くはご利益信仰ではなく、霊感商法でも、新興宗教でもないと否定するか、意図的にその話題に触れることなく同じことを繰り返すのでしょう。
「先祖の霊が…」と平然とやり取りされて、それに伴う取り組み料を取るのを霊感商法と取るか、宗教的活動と取るかは個人の判断によるでしょう。
宗教であると思って霊が持ち出されてもその教義に従って取り組むことは信教の自由です。周囲の人も霊感商法呼ばわりしないでしょう。
しかし、人の信教の自由を侵害するような宗教の強要をする信者がいれば、霊を持ち出されると霊感商法と類似の手口と否定したくなる人も出てくるでしょう。今世の中でその手口が注目されて特定の宗教による被害者が減れば良いと思う人も増えるでしょう。
問題は信者が周囲の人に被害者意識を与えているかどうかでしょう。

霊の仕業とは、この教えの霊能によって示される救われない霊による働きかけです。その実態は後から言葉でどの様にでも表現され、信者が恐れるように巧妙に表現されます。
その様なお力にすがり、教えを信じていれば何をしても許されると思ってしまう信者がトラブルを起こします。元々人を振り回しても平気で自分が悪いと思わず人のせいにする傾向の人が信じる教えなのでしょう。
世の法令や倫理に従えばまだ抑えられるのでしょうが、この教えの示す霊、因縁の恐怖によってお力を求めさせられる信者の思考が教えに都合の良い思考に染まると、トラブルによって生じた軋轢さえも勧誘のために利用されます。意図的にトラブルを起こすこともあるでしょう。自己中心的な信者がトラブルを起こせば、「そら見た事か」と教えを信じない人のせいにされてトラブルが絶えなくなります。
文化庁の統計上は信者を減らしていますが、無断入信でトラブルを起こす信者がいる中で、架空信者が多いと思われる状況であり、信者と距離を取ってトラブルを避けようとする人は多いと思います。しかし、この教えにはまってしまった人はトラブルを起こし続ける何年も懲りない人と思った方が安全です。