一貫性と言いますか、頑なと言いますか、信者は教えの粗を見ようとしません。
教えの粗とは、教祖一家のスキャンダルから、ネズミ講型の取り組み、勧誘するためや、教えに都合が良ければ嘘をついてまで取り組む信者の姿勢などそれら背信性であり、ネットで言われているとおりです。
一方で、ネット上でも信者らしき書き込みに、教えの粗からあらゆる手法を使って目を逸らさせようとする意図も見られます。
自分たちが信じているのだから良いのではないか。その考えは思想信教の自由だと思います。
教えの粗の一つである「自分以外の人も自分の信じている宗教を信じていなければならない」と思い、信者が直接的にも間接的にも教えを強要する行為は、勧誘しなければ救われないという教義において、心なく信者の周囲で頻繁に行われています。
それらも密教であるので秘密であると言われたり、視点を逸らそうとされたりしながら、教えの粗が知れることは、手口が知れることなので、勧誘が成功する目的のためにそこに論議が及ぶのを阻止されようとします。
どこまでも教えの粗を隠しながら、教えを信じさせようとする教義に基づいて自分が救われる目的で勧誘しようとする信者の行動に被害を受ける人が出るので、その秘密裡の手法の故に、手口を知る人が増えることで対策するしか無いように思えます。