教えの勇猛心とは | ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

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真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

教えでは、教えを歩むのを邪魔する要素を、護磨の炎のように自らが燃え立って、教えをどこまでも信じていくのを勇猛心と言われます。
まるで、「正しい教えは迫害される。」と、批判されるのを想定されているかのようです。
その心理は、教えを信じない人にどこまでも否定的に攻撃的になることもあります。
教えの外のコミュニティでは到底信じられない教義ですので、教えの狭いコミュニティの中で洗脳されながらも、教えの外の世界は因縁だらけの危険な世界と思わされます。
教えを信じない人は可哀想な人と見られることもありますが、教えを経験して動じることなく信じない人に、信者は勇猛心をもって、権力争いのようなものをしかけてきます。
相手の心理的安定を崩して、教えの霊、因縁に関連付けようとする延長です。
ネットの質問コーナーでも、時には倫理を逸することもある信者による信じられない行動が報告されます。
それは教えだけで示される霊、因縁に追い詰められた信者による行動であり、実践と言われますが、勧誘しなければ信者が救われないが故に、社会的地位なども使われながらネズミ講的な実践が行われています。
信者にとってはそれがあくまでも宗教的取り組みであると思われているところが、教えの外の世界との軋轢の原因となっています。