真如苑では現在の自分の状況を霊能者の心の鏡に写して知る際に、霊、因縁を重要視します。
真如苑の信者と話したことがある人は、自分がある失敗や不幸を見られた時にそれら言葉を耳にしたことがあると思います。
それは過去に先祖やその土地に関わる人が犯した罪や事故による業や念が残り、助けを求めているということなのです。
それは真如苑の力でしか発見することができず、真如苑の力でしか供養したり浄めたりできないのです。
その前提が無数の霊、因縁ストーリーを創り出します。
信者の悩みに合わせたそれらを、教えの上下関係の中で取り組み、解消しようとするのです。
それは組織的な霊、因縁を示しておいて「救ってやる」というマッチポンプでもあります。
ただお寺といわれる所や集会などに取り組んでいるだけでは救われません。
それは人を救っていないからです。
人を救うとは、自分が救われた様に人にもこの有り難い教えを歩ませて「あげる」ことです。
真如苑の信者は、人を誘うまでには霊、因縁の怖さを心の底まで植え付けられており、自分はこの教えに人を結ぶためのエージェントであると選民意識を植え付けられます。
だから勧誘して断られても「あの人は因縁が深いから。」と開き直れるのです。
そして立ち止まって考える暇なく自分の示された霊、因縁から救われるための力をいただけなくなることへの恐怖が植え付けられていることに気づけません。
そして一度教えを疑うものならば、その力が流れてこないことによる因縁に倒される得体の知れない恐怖が定着します。
その段階では沢山の救われない霊、因縁が示され続け、それらがまるで自分の返さなければならない借金であるかのように縛られ、教えを辞めることもできずに、勧誘ノルマを果たす為に、この勧誘地獄の教えを人に勧められないながらも平気で嘘をつき、信者獲得のための強引な入信行為に至る信者もいます。
そうしたネズミ講型で霊感商法的である取り組みを一生気づけない信者も発生します。それは人にネズミ講型新興宗教の実害を伝え続けて一生を終わる結果となるのです。
真如苑の示す霊、因縁ストーリーの行く末を嵌る前に気づき、身を守ることができるのは自分です。
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