信じているから正しいと正しいから信じているの違い | ソニエリのブログ~マインドコントロールの功罪~

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真如苑の欺瞞について、経験に基づき掲載しています。

真如苑信者を見ていると、信じている理由が曖昧になっています。それは私も体験したオブラートを何枚も重ねる様な暗示を修行と称して行ってきた結果、「まず信じる事が前提」となっているからです。将に教え中心です。
「教え中心となっていれば、まっすぐに生きられる」と言う信者がいます。それは信者間ではまかり通っている考え方でしょう。しかしその「正しいことが前提の教え」を取り組む上で個人情報を無断で使用して入信させるなど常識的に見て背信的行為も「教え中心だから、人を救うことだから」と肯定している信者が信じている教えならば、正しい教えではありません。それに対しても用意された言葉があります。「信者は霊能者であっても修行中の身だから間違いも起こす。」です。
教えを信じられない表現で「ひびの入った甕」があります。信者の態度はその水が漏れて教えの粗が見え隠れする甕のひびを隠しながら、教えに対して適切に対処していると本人は思っています。
日々その水漏れだらけの甕を見せないことで静寂を保ち、人がそのひびの甕の理由が分からないほど心が弱ったとき、教えの濁った水を勧めようとするのです。それが劣悪商品であるにも関わらず。