無謬性~そんなのありえないから[No.329] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

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先日、息子の受験を終えた。最終的には合格を手にしたものの、全てに合格しないといけない、失敗は絶対に許されない、そんな思いによって彼は自身を追い込み、がんじがらめに縛られてしまったようで、序盤でスランプに陥った。ダメでもともと、数ある志望校の中の一つに引っ掛かればラッキーくらいの心持ちが、丁度いいってことを私は実感した。少し力を抜いて振るくらいの方が飛距離が伸びる、そんな打撃に対するイチローの想いのように。そうでないと、ちょっとしたミスを許容できなくなり、焦りに支配され、いつもの練習で出来ていた冷静な判断が難しくなる。

 

10回新しいことを始めれば9回は失敗する。

ユニクロ柳井社長

 

新聞や雑誌で、タイトルの「無謬性」という言葉(誤りがない、絶対に正しいこと)がお役所などの保守的な組織の体質を表現する言葉として使われているのを幾度か目にしたことがある。失敗はありえない、だから過去の上手くいった手法をしつこいくらいに踏襲する。計画を立てる際に失敗はありえない、だから失敗した際の回避策は不要である、そんな具合だ。状況が変化し、必勝パターンが現状にそぐわなくなっているのにも関わらず、それを神の如く盲信してしまう、非常に残念な考え方だ。

 

先日、34年ぶりに日経平均株価が最高値を更新した。主要国の株価がその間に数倍に膨らんでいる中、34年間の停滞からの脱出の第一歩。バブル崩壊の反省(ビビり)によってひたすら貯め込む安全運転から価値(勝ち)創造への転換の機運が高まっている結果のようだ。失敗というリスクの許容による成果。無謬とか言っていたら、そのまま埋もれてしまう。銀行システムの度重なるトラブルや原発事故のように。そんなのあり得ない、そんな考え方が大きなミスを招く。

 

かつて「意味が分からない」が口癖のように使われている環境に身を置いたことがある。正しさみたいなレールが敷かれていて、そこから少しでも踏み外すと決まって「意味が分からない」を浴びせかけられてしまう。下手なことは口にできない。心理的安全性ゼロである。そんなだから口数は少なくなり、受け身の姿勢に徹するほかない状況だった。

 

ミクロな正しさへの執着によるマクロなリスクの増大

 

 

最近、日本で最も成功していると言っても良いトヨタ自動車に関連する不祥事のニュースが多く報道されている。個別の事象は取り上げないが、おしなべて上位下達な組織風土のもと、上が決めたことに下は従わざるを得ない、時として、それを死守するために不正に手を染める、そんな構図だ。「上に言っても無駄」そんな諦めが蔓延している。あのトヨタでも・・・そんな残念なショックを受けた。どんなコト、モノにも無謬なんてありえない。だから、ある程度の疑いと、ある程度の寛容の必要性を強く感じた。

 

無謬を感じるkinks