失われたものを数えるな、残された能力を最大限生かせ[No.301] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

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 表題はパラリンピックの創始者と言われているルートヴィヒ・グットマン博士の言葉である。先日、日経新聞で見かけて、とても素敵な言葉だと感じ、いつもそうありたいと強く思わされた。

 

 一週間前の日曜日は父の一周忌だった。あと20年くらいは生きていると思っていたので、父の死は私にとって、すごくショックだった。でももう生きていないのだから仕方ない、死んでいった人の分、自分が生きる、いつしかそう思うようになった。

 


Bob Dylan - Knockin' On Heaven's Door

 

 突然の不幸に暫くの間、落ち込んでしまうのは当然だ。でもいつか区切りをつけて、前を向きなおさないといけない。不思議なことに、どんなに悲しい出来事があっても、ずーっと悲しさが続くことはない。日薬。おそらく悲しみの総量みたいなのがあって、それを使い切ると悲しみが枯渇するような気がする。後にファジーな寂しさは残り続けるけれども。

 

 

 かつて僕は麻雀が好きで、そこから学んだことは切り替えの重要さだ。敵の素敵による動揺や、自分のミスによる後悔を、いつまでも引きずっていては、新たなミスが引き起こされたり、ツキが回ってこない。素早く切り替え、反転攻勢に向かわないといけない。

 

 少し矛盾するけれども、僕は臥薪嘗胆という言葉も好きだ。中国の古語で、悔しさを心に焼き付けて、それをエネルギーに苦労に耐えながら再興に向けてひた走ることである。後悔や絶望、恨みで後ろ向きになってしまうのは、表題の言葉の通りで避けたいところだけれども、過去の悔しさや悲しみを胸に前向きになれる、心を燃やす源として自分の中で設定できるのであれば、それはそれでいいとも思う。

 

 当たり前ではあるけど命は永遠ではない。だから少しずつ少しずつ周りから大切な人は去っていく。自分の能力、体力も少しずつ衰えていく。そんな中、プロ野球の、盛りを過ぎたものの打者との駆け引きに新たな境地を見い出す投手みたいに、衰えをカバーして余りある試行錯誤から学び得たことを大切にしていきたい。また同時に過ぎ去った過去に執着しすぎることによる老害に陥ることのないよう注意したい。

 

 コップに残された飲み物を、もう半分しか残っていない、ではなく、まだまだ半分も残っている、そんな気持ちで50歳を間近に控え、折り返していけたらと思う。