依存と独立〜与えられた安定?切り拓く孤独?[No.153] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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昨日、スコットランドがイギリスから独立するか否かの投票の開票結果が報じられていて、表題のようなことを深く考えてしまった。そのまま留まっても、独立しても良い面、悪い面がそれぞれ有り、微妙な選択だったようだ。個人もグループや人に依存していることが多くて、そこからの独立となると悩ましいことになる。親からの、メインバンクからの、会社からの、メンターからの、恋人からの、独立。

僕は上手く依存するのが苦手だ。上の人に上手く調子合わせるのとか必要だと思いつつ、どうしても抵抗感も同時に感じてしまう。それが良いことなのかどうか、今でも分からない。そういうの上手い人見るとう-ん…って思ってしまうことがある。「そうですね」の裏では僕の2.5倍くらいの過激さで依存対象を否定したりもする。そういう人は僕に比べて効率的に生きていると思う、ある意味で。でも、それでいいのかな?とも思う。大局観があって小さな衝突を避け大きな目的のために今は歯ぎしりする、とかではない。その場、その瞬間が何となく、とどこおることなく過ぎ去れば良い、本質なんて面倒だから表面的な見栄えが良ければ何を疑うことがあろうか?だから上の人の言っていること聞いとけば間違いない、みたいなナーナー感。

僕はもちつもたれつといったら聞こえはいいけど、上下関係が決まっていて、上の人にただ、ただ依存することはリスクだと思っている。それじゃ、会社辞めるのか?家出するのか?とか言われてしまうけど、そうではなくて、何か問題があって組織として決断が迫られている時、自分で何も考えることなく、ただ単に決定に従うのではなく、最終的に自分は決定に関与できる立場でなかったとしても、密かに決めなければならない立場に立たされたつもりで「自分はこう考える、何故なら・・・」みたいなことを鮮明に頭の中に描いといて、ある程度の説得力を伴って説明できるようにしておかないとって思っている。

でないと、最近話題のブラック企業の滅私奉公みたいに、大人しく言うこと聞いていれば俺の庇護の元、悪いようにはしない、でも余計な意見はいらない、難しいことは考える必要はない!大人しく時間と労力を提供しさえすればよい、みたいなことで残るのは徒労感、ストレスだけ。得られるはずのノウハウ、自己成長、満足感は乏しいものになってしまう。それでも依存対象がずーっと自分に目をかけてくれるのであればいい。でも、そういう依存関係がなくなった瞬間(例えば、組織構造改変による指揮命令関係の変化、恋人の目移り、家族の死など)に路頭に迷うことになる。また依存される側からしても、大人しくしてもらっていれば楽かもしれないけど、最終的には多様な発想が制限され、画一な決定に終始することで自らの首を絞めることになる。

自分の人生の主導権は自分が握る。決して他人には握らせない。

TAC社長 斎藤博明

独立に向かい自分を前に押し出そうとする時、少なからず叩かれてしまったりする。そんな時、孤独感も相まって自分はひょっとしたら間違っているんじゃないか?って不安感を大きく膨らませないことが大切だ。もちろん過ちもなくはない、ただ、ごく些細なことを大げさに騒ぎ立てる否定のための否定みたいなことで足を引っぱられることも少なくないから。そんな時は我慢と同時に、あまりにも酷い場合は毅然さも求められる。前に良くしてもらったとか、自分より相手の方が能力的に上だとか、弱みを握られているとか、そんな引け目によって遠慮しすぎることなく胸を張らないといけない。



自分の主導権を守ることを強く意識させてくれるbeatlesの Across The Universe

2002年のワールドカップのベルギー戦で先制を許して、うつむいている日本代表メンバに中田英寿は「顔を上げろ!」と怒鳴って消えかけたチームの闘争心を再び呼び起こした。この言葉は僕の心に深く刻みこまれた。僕もこれからいろいろあるとは思うけど下を向くことなく高いボールポゼッションをキープしていたい。

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