守破離〜パクリなしには始まらない[No.128] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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守破離とは、茶道を習得するまでの過程において、最初、弟子は師匠に言われたとおりに、ただ、ただ、励んで、励んで(守って)、身についてきたら少しづつ自分なりにアレンジして(破って)みて、最終的には師匠の教えから自由になって(離れて)自分なりのスタイルを完成させるということ。


OASISはビートルズに憧れ、ビートルズはチャック・ベリーに憧れ、チャック・ベリーは?・・・分からない。アマゾン川の始まりの一滴を知っている人がいないように。そんなインスパイア(感化)とかリスペクト(尊敬)による模倣の上に少しづつオリジナルが付加されていって素敵な曲が出来上がる。


OASISのジョンレノンへの敬意を表した演奏

若い頃、僕は生意気にオリジナルを気取って、何か凄いことって自分の中で自然に生まれてくるはず、みたいなことで自惚れていた時があった。でも、そんなのあり得ないってことに気付く。だから真似は格好悪くない、むしろ必要なんだってことになる。発酵した大豆が美味しい納豆になるように。

模倣に基づかないオリジナルなんてない。自分を遥かに凌ぐ素敵に素直に感動することで自分も引き上げられる。

子供に本を薦めてはいけないという話を幾度か耳にしてきた。無理やり読ませて、その本が子供と相性が悪くて本を嫌いになってしまったらいけないからということで。ナルホドと思っていた時もあった。でも、今は少しくらい強制しても構わないと思うようになった。子供が読みたくなってから自分の意志で読めばいいって、一体、いつそんな日が訪れるんだろう?それに何が素敵な本なのかも子供はわからないから。強制してみて読んでみた結果つまらなかったら、それはそれで仕方ない。でも、そんなにハズレばかりでもない気がする。僕が子供に戻れるのなら、親に何度でも聞きたい。「何か素敵な本、教えてよ!どう感じるかは僕の問題で、ダメだからって一体、何が失われるの?もっと僕は人生を急ぎたいんだ」って。

ほんの少しの厄介事のために大きな素敵を諦めるのって残念だ。

また、アップルの創業者のスティーブ・ジョブズもこう語っている。

ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」と言った。 だから僕たちは、偉大なアイデアを盗むことに関して、恥じることはなかった。

30年ほど前にアップル社のパソコンにマウスが搭載され話題を呼んだが、そのアイデアはゼロックス社からのパクリだったことは有名な話である。

僕も貪欲にパクっていきたい。でも素敵な考えにたくさん出会って自分のモノにしていくには一体どうしたらいいのだろう?ある程度の絞り込みは必要だけど、やはり数をこなすしかない、確率論、近道なんてない。ゆとり教育導入の際に否定されていた詰め込み教育みたいに、どんどん、どんどん頭のなかに放り込む。左サイドからの長友のクロスみたいに。そんなことで素地ができて、その上で、ほんの少しのオリジナルを付け加えることができたらホント素敵だ。詰め込まれていなかったらクリエイティブなひらめきも工夫も生じ得ない。

僕は小さい頃からadidasが大好きだ。そんなadidasにまつわる大事件が起きた。安かったので買ってみたTシャツのロゴが、なんとadidosだったのだ。安物買いの銭失い。こういうパクリは勘弁して欲しい、ホントに。

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