限定合理性〜完璧の追求は完璧な人生をもたらさない[No.109] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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限定合理性とは人は何かを判断する際、十分な情報に基づいて非の打ち所のない決断をしているわけではなく、限られた情報の中でホドホドのところで決断している(折り合っている)ということ。ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモンが提唱した。

完璧な判断が困難である理由には次のことがあげられる。
・人は思い込みによって誤った判断をすることがある。
・必要な情報を全て集めることは不可能。
・集めた情報を完璧に活用しきれない。
・判断するまでの十分な時間がない。

僕は完璧主義の傾向があった20代前半くらいまでは完璧を本気で信じていた。完璧を目指して努力しても、どうしても満足できない。この思いは僕を苦しませた。もともと自己肯定感が低かったせいもあり、自分は全然ダメ、他は凄すぎるって思いを強くした。そんな時はビートルズのLet It Beを聞いて癒やされた。僕はそんなにダメなのか?いや、そのままでいいんだよって。

そんな自信を失っていた僕ではあるけど、仕事、恋愛などを通じて完璧なんてないって徐々に思えるようになった。周りを見回しても、誰一人としてそんな人いない。完璧なんて言っていたら一つのことも出来ずに人生が終わってしまう。「ほどほど」くらいが調度良い。そんな中で限定合理性に出会って凄く救われた気がした(限定合理性は判断に対する不完全さを説いているけど結果に対しても同じようなことが当てはまると僕は思っている)。このようなことを社会にでる前に知っていたら人生が変わったのかもって思う。是非、義務教育に取り入れて欲しいものだ。そうすればハッタリとかさらには詐欺みたいなものに対する抵抗力は上がるのではないだろうか。完璧への憧れと焦りによる落胆にそういったものは狡猾に入りこんでくるから。

完璧の追求は完璧な人生をもたらさない。ルー・リードがPerfect Dayで歌ったように。

そのような考え方の変化によって自分はそれ程ダメじゃないって思えるようになった。結果が出た後に始めから分かっていたような事を言う預言者みたいな人を後出しジャンケンだって静観できるようになったし、自分の組んだ膨大なプログラムの内容は詳細に完璧に記憶しているはずで、そうできないのはあり得ない!って怒る人は犬のマウンティングみたいなものだって思えるようになった。過去の自分だったらホント俺はダメだって反省していたに違いない。

そんなで、すべての条件が揃っているような完璧な状態なんてないから、迷ったら可能な限りやってみようと思っている。それでダメだったら直ぐにやめ、ダメだった要因は考えるけど過度に自分を責めない。何故かというと守りに入ってしまうし、繰り返しになるけど完璧なんてないから。やらないで何も起こらないよりは、マシだって思うようにしている。そんなサイクルを適度なスピード感で回せたら素敵だ。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。マシンガンのように。ただ結婚だけはそういうわけにはいかない。なので恋のマシンガンはとうの昔に妻に預けてしまった。

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