合成の誤謬〜あなただけの為で皆の為にはならない[No.110] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
ーーーーーーーーーーーー
合成の誤謬(ごびゅう)とはミクロ(部分)の視点では正しいけれど、マクロ(全体)では必ずしも正しいわけではないこと。部分最適。

こういうことって身の回りに溢れている。一見、素敵に思えることが、よく考えてみると限られた人のエゴに過ぎなかったり、逆にエッそれ本当にやるの?っていうことが実は皆のためになることだったり。

1つ目の例として我が家の長男への躾の話。肘をついて食べたり、左手で器を押さえてなかったりとか非常に細かいことではあるけれど口うるさく注意するようにしている。何でこんな些細なことで僕は怒っているんだろう?まるで小舅みたいだなとか思いながら。そういうことを注意してくれる人は親以外いないし、ただ笑われるだけだから。今、僕が面倒だからといって楽して(注意しないで)、その後、長きに渡って自分で気付くことなく影で笑われ続けるようなことになって欲しくない。

2つ目としてこの前までのデフレスパイラルと言われていた頃に企業はバブル期に膨らんだ借金を返済するためお金を使わなくなった。このこと自体は正しいことだけど、そのようなことが景気を収縮させてしまった。さらに企業の守りの姿勢は新たな挑戦への意欲を減退させデジタル敗戦に代表されるようなアジアやアメリカの後塵を拝することを招いてしまった。

3つ目として営業現場において、クレームは多いけど取引の少ないお客さんに多くの時間を取られてしまった結果、本来手厚いサポートが必要とされる取引の多いお客さんへの対応が不十分なものになってしまうという残念な話を先日、耳にした。あまり効率って声高に言いたくないけど、ある程度の費用対効果を前提にしたお客さんへの時間配分って必要だと思う。

ごく限られた人や現在の得のために、全体や将来が失われてしまうのってとても残念なことだ。声の大きい人が優先され、サイレントマジョリティ(思いを言わない大多数)は置き去りにされ、全体のバランスを欠くことのないようリーダーは細心の注意を払わないといけないと思う。言わないからダメなんだみたいなこと言う人もいるけどそれはちょっと違う。もしそうならば言ったもん勝ちのゼロサムゲーム(※)になってしまう。モラル・全体観に基づいた判断がリーダーには求められる。

僕は吉野家に行くと、どうも肉を先に食べてしまって、ご飯が余ってしまい汁のしみたご飯を少し残念な気持ちで食べることがシバシバだ。富の先食い。まるで償還の当てのない国債の実情みたいだ。子供たちの世代に汁のしみただけのご飯を食べさせるようなことは、できればしたくない。

※自分の取分を増やすためには他から奪わなければならないこと。

何かお感じになられましたら押してくれると嬉しいです!前に進むエネルギーになりますので。
ブログランキング・にほんブログ村へ