集団浅慮〜皆で渡る赤信号は青なんだ、間違いない[No.108] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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集団浅慮とは集団で決めると短絡的、極端なことになってしまうこと。

会議などで、リーダーのバブリーな意見に対して、従順なメンバが安易に同調し、賛意をアピールするために更にバブリーなアイデアがつけ加えられ、後で振り返ってみると、場の雰囲気のなせる不思議な決定にため息をついたことのある方も少なくないのでは無いだろうか ?ちょっとしたKY(空気読めない)とそれなりの勇気があれば・・・。

社外取締役の制度化への賛否が議論されているが集団浅慮という観点に限れば、きっと有効に機能することだろう。

そんな集団浅慮の起こる要因として下記があげられる。
・集団(リーダ)への過信
・集団(リーダ)からメンバへの同じであることへの強い圧力
・異質への軽蔑、偏見

例えばナチス・ドイツの暴走。ゲルマン民族としての誇りを過度に刺激し、都合の悪いことは全てユダヤ人の責任、異を唱える者へは抑圧、暴力という方法で自他破壊への道を進んでしまった。さらにヒットラーの洗練されたロックコンサートのような演説は人々を陶酔させた。僕も演説を見たことがあるが妙な高揚感と憎しみとが結合することで過激な方向に傾いてしまったのも仕方ない気がした。自ら考えることを通り越して、間違いない、そうなんだって思わされてしまう危険な感じ。俺達は間違っていない、全て奴のせいだ、もっと俺達は与えられるべきなんだ!って。日常にもこのような歪みのミニチュアがたまにあったりするから気をつけないといけない。

小さいことから大きいことまで、よく分からないけど同じであることを強いられることってある。そういったことへの反発は面倒なことが多いので内心ではおかしいなと思いながらも受け止めてやり過ごすことが多い。面従腹背。少し前のことだけど携帯電話はドコモでないといけない、ソフトバンクではダメみたいなことをしつこくいう人たちがいた。持論を述べ理由を聞いてみると理由になっていない。でも深入りしない。どうでもよいから最終的には左から右に受け流す。こういうことも協調の一つだ。W杯予選の勝敗によって引き起こされた(?)サッカー戦争みたいなことを僕は望まない。

とはいえ面倒だからといっていつも協調ばかりだと自分が自分でなくなってしまう。アイデンティティに関わることだったり、集団がおかしな方向に向かっていくような場合には毅然と主張しないといけない。常に情報を受け取った時にホントにそうなのか?って自分の思いと照らし合わせ、違うと判断した時に、それでも同調するのか?反対するのか?を重要度に応じて判断する。必要以上にヘイトスピーチのターゲットになることを恐れ自分に同調を強いるようなことがないように意識している。もしそうなったとしても今度は僕がターゲットなんだって冷めた気持ちで放っておけば良い。そういった強い個の意識が組織の暴走に対する歯止めになる。一方、情報を受け取って考えることなく「そうですね」は悲惨だ。


God(他に惑わされてはいけないことを歌ったジョンレノンのナンバー)

最近、息子が母親に従順である。その一方、父親(僕)には反抗的である。話の中身ではなく、発言したのが誰なのかによって判断しているフシがある。そのうちマウンティングとかされかねない。その時は反撃しないと。

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