文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
ーーーーーーーーーーーー
ストイックとは自分の感情とか欲望を抑えて、自分を抑圧して、苦しい努力を継続することっだって認識している。
かつて僕はストイックだった。無理だって思えることも不眠不休でやればなんとかなるって思っていたし、そういった努力は必ず他者によって評価されると思っていた。
これだけ苦しんだんだから僕は後悔しない、みたいな甘えだったのかもしれない。
全てが間違っていたとは思わない。でもそれだけでは不十分だと思うようになった。誰でもそれなりの努力はしている。もっぱら逃げるのと言い訳によって存在を確立していた人もいなかったわけではないけど。だから、それだけでは決定的な差別化の要因にはならない。記憶が曖昧だけど前にイチローが「努力に逃げてもダメだ」みたいなことを言っていたのを聞いてハッとしてしまった。努力の前に努力の方向性を決めたり、モチベーションをいかに高くキープし効率性を高められるかってことが努力による成果を全く違ったものにする。自律的な責任を伴った楽しさと、一方的な命令による退屈さのどちらが結果を望ましいものにするかは火を見るより明らかだ。
また根性があり、さらに従順であったりすると、つけ込まれてしまうことがある。ネガティブなことは言いたくないが時として「出来ません」は必要だ。僕はこれが言えなかった。頼まれたことは何でも引き受ける、それを努力でカバーする、そうすれば評価されるって思っていた。それが行き過ぎると便利屋というか、ゴミ箱みたいな立場になってしまう。ゴミを捨てていく人に「もう入らないのか?入れ方がまずいんじゃないか?」みたいなことを酒を飲みながら携帯電話で軽く言われてしまったりする。自らのキャパをアクアラインの利用者の見積のように過大に評価しているようなインフレ気味の人に。このような状態は心身ともにホント辛い。さらに、そういった弱った状況を利用して(?)陰湿なモラハラの発生。(主題からそれるのでモラハラは別の機会に。)コンサルタントの石原明さんは自身のPODCASTでこう語っていた。
強さを欠いた優しい人は大抵不幸になる。
予め経験を通じて何となく分っていたことが、言語化され改めて耳に入ることにより過去への理解が一層深まることってある。
性善説を過信してはいけない。良い人ばかりではないし、良い人が常に良い判断をするとも限らない。時として自分の思いを主張したり断る勇気が大切だ。皆にいい顔していると結果的に大切な人を失うことになる。自分一人だけの自分ではない、家族を守っていかなければいけない自分だから。
そんなで努力は必要なことだけど、それ自体を目的にしてはいけないと思っている。ある程度の主導権を保ちながら自分がやりがいを感じられる状態で、それこそ幼少の頃にプラモデルをトイレにいく時間も惜しんでオシッコちびりながら組み立てた、あのワクワク感を以って際限のない努力を死ぬまで続けていけたら素敵だ。寝食忘れて没頭する。難しい時もあろうが、きっと想像力に富んだ工夫がそれを可能にするだろう。
我々は長期的には皆死ぬ(ケインズ)。だから今を、この一日、一時間、一秒を、抑圧からではない素直な気持ちで味わうんだ。レコード盤上の針がポイント、ポイントをなぞる連続によって素敵な音をかき鳴らすように。
何かお感じになられましたら押してくれると嬉しいです!皆さんのポチッが前に進むためのガソリンになりますので。