”続”原発[No.86] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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都知事選で東北地方太平洋沖地震による放射能汚染に端を発する原発存廃が大きな争点の一つになっている。

放射能の汚染により故郷に帰れない福島の方々は本当に気の毒だ。また、放射能が大気や海水に流出することにより周辺住民のみならず、周辺国にも随分と不安を与えたことだろう。

そういった危険な原発ではあるが、僕は上手に付き合っていくべきだと考えている。埋没費用(※)として考えるには早計に思えてならない。天然資源が乏しい日本において、これまで長年に渡って培ってきた他国に勝る原発の技術は有効な武器だから。自国の安価かつ安定したエネルギー確保はもちろんのこと、インフラ輸出としても有望な商品だ。コンプレックスは時として、それを補う以上の強みをもたらす。ザ・フーのピート・タウンゼントのギターのように。

最近、よく言われている原発を撤廃して安全なクリーンエネルギーで代替って聞こえはいいけれど多くの問題もある。原発を補うための化石燃料による発電の増加に伴い、二酸化炭素の排出が増え、過去に表明されていた二酸化炭素の削減目標は低めに修正された。このことにより石油、石炭、天然ガスの輸入が急速に増え、それに伴い貿易赤字も急速に拡大し日本の富が資源国に流出している。資源国の王様の笑い声が聞こえてきそうだ。さらに電気料金の高騰、供給不足による停電への懸念といった問題については改めて指摘するまでもないだろう。

まずかったのは原発を利用したことではなく、競争、緊張感のない伸びきったゴムのような状況下で、払うべき注意を怠り、どれだけ楽して自分たちの利益を確保するかといったことだけに異常な執念を払ってきた電力会社の権力者たちがいかに多かったかということだ。このようなことはファミリー企業への随意契約の多さ、地震が起きてから今までの多くの不手際を考えると容易に想像できる。

だから、電力市場への参入、競争を促し、「電気を供給してやってるんだ、それは俺達にしかできないんだぞ!」から「いい加減なことしたらお客さんからソッポむかれてしまう」っていうふうに意識を変え、危機感を持ってもらわないとダメだ。下野による切迫感が再生の原動力になった自民党みたいに。競走は安全性を低下させるみたいな話もあるけど、安全性は競争力の一部分だから、そんなことはない。いくら安くてうまくても食中毒のあった焼肉屋には誰も行きたがらない。

また、原発廃止が叫ばれる時は往々にして潰したい案(続原発)のデメリットばかりが強調されて、そのメリット及び、対する案(脱原発)のデメリットは過小に評価されてしまう。双方のメリット、デメリットを引き算して導かれた答えを平等に評価して欲しいものだ。完全無欠の「仮面ライダー」なんていないから。

僕は今、注目されているクリーンエネルギーがイノベーションによって、リスクを含めた原発のコストとの比較で同等くらいに近づくまでは原発の利用を続けるべきだと考えている。安価かつ安定した電源供給、さらには生活費の上昇抑制、輸出品の国際競争力の向上のために。

圧倒的な出来事によって感情のおもむくままにロマンチックな考えに流され、本質を見失ってはいけない。
東欧ルーマニアの社会主義政権が崩壊した時の大統領チャウシェスクを正当な裁判を待つことなく激しい憎しみといった感情により即銃殺してしまったことは「いくらなんでも」として記憶されている。陶酔の先にある日常にこそフォーカスすべきだ。

手塚治虫は生前、原子の子「鉄腕アトム」を自らの金儲けのために書いた作品だといって嫌っていたようである。今の世相を予見していたのだろうか?そんなアトムではあるが、多くのお金を手塚治虫にもたらし、そういったお金はきっと、それ以降の彼の活躍に貢献したことだろう。

(※)ある事業に投下したお金のうち、その事業をやめることによって無駄になってしまうお金のこと。もったいない、もう少したてばうまく行くはず、といった心理により、捨てることが出来ずズルズルと自体を悪化させてしまうことが多い。